江口のりこの”静かな狂気”がせつない…映画ファンが伏線を考察!『愛に乱暴』に抱いた様々な想い
『悪人』(10)や『怒り』(16)などで知られる作家、吉田修一の同名小説を『さんかく窓の外側は夜』(21)などで脚光を浴びる森ガキ侑大監督が映画化したヒューマンサスペンス『愛に乱暴』が8月30日(金)より公開される。 【写真を見る】サスペンスフルな人間模様が繰り広げられる『愛に乱暴』に寄せられた観客の声は? チェコで行われたカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭のコンペ部門に出品されたこの話題作の公開に先立ち、8月8日にティーチイン付きの試写会が実施された。江口のりこ演じる主人公の愛が暴走していく様に、観客はどのような感情を覚えたのか?ここではひと足早く映画を鑑賞した観客の声と共に、本作の魅力に迫っていく。 ■女性の愛が暴走していく緊迫感に満ちたヒューマンサスペンス 唯一無二の存在感と卓越した演技力で映画やテレビ、舞台で活躍する個性派女優の江口とCMディレクター出身の新鋭、森ガキ侑大がタッグを組み、一見何気ない家庭生活を送る女性の平穏があることから壊れていく様を、全編フィルム撮影による生々しい映像でサスペンスフルに描く本作。 夫の実家敷地内に建つはなれで暮らす桃子(江口)は結婚して8年、義母の照子(風吹ジュン)による微細なストレスや夫、真守(小泉孝太郎)の無関心を振り払うように、石鹸作りの講師や手の込んだ料理を作る丁寧な暮らしで日々の暮らしを充実させていた。 一方、近所のゴミ捨て場では不審火騒ぎが相次ぎ、かわいがっていた猫のぴーちゃんが姿を消すなど、桃子の生活に徐々に不穏な影が落ちていく。そんななか、桃子は出張から帰ってきた真守の衣服が普段と異なり綺麗に畳まれていることに気づいてしまう…。 ■キャラクター像を浮かび上がらせる細やかな人物描写 「心の闇が露わになっていく、もっとドロドロしたサスペンスのイメージでしたが、実際はとても細やかな人間描写に引き込まれる重厚なヒューマンドラマに感じました」(50代・女性) 「どんな作品かドキドキしていましたが、個々のキャラクターが強く、それぞれのセリフや掛け合いがすごくよかったです」(30代・女性) 「サスペンスということで主人公の狂気が描かれると予想していたが、それ以上に等身大の哀しい愛の物語だった」(20代・女性) 鑑賞前後、抱いた印象について上記のような声が数多く寄せられているように、サスペンスであると同時に重厚な人間ドラマでもある本作。桃子がどのように暮らし、どのように扱われているのか、人物像が細やかに描きだされている。 例えば、毎朝のゴミ捨てや庭の草むしりなど些細なことでもかかわらざるを得ない義母の照子に対しストレスを覚えつつも、桃子は外出の際には必ず手土産を持ち帰り、関係に波風を立てまいと接していく。その一方、一人になればすてきな食器を集めることやリフォーム雑誌を眺めることで心のざわつきを落ち着かせており、その切実さがなんとも虚しい。 「桃子の一方的な会話と真守の冷めた態度から夫婦間での愛はかなり温度差があると思った」(30代・女性)とあるように、夫の真守はもはや心ここに在らず。手の込んだご飯も、感謝の言葉一つもなしにスマホをいじりながら平らげる始末だ。さらに石鹸教室の拡大について提案に向かった桃子と元上司との打ち合わせでは、仕事の電話を優先されるなど、さりげない周囲の行動から彼女の存在が軽んじられていることが伝わってくる。 どんどんと透明な人間になっていく彼女の様子には「桃子の環境は特殊なものではなく、誰にでも起こりうる孤独だと思った。一緒にいるのに一人みたい感覚は誰でも経験があるのでは?」(40代・女性)、「桃子は桃子として家庭からも社会からも弾き飛ばされていて、1人の人間として扱われていない気がする。彼女に自己投影することで悲しみと虚無になった」(30代・女性)と共感を覚えた人も多かったようだ。 「数知れない我慢や怒りや自己犠牲のなかで自分の居場所を見つけ確立してきたかもしれない。真守と離婚してしまえば、これまでの桃子の人生が否定されるようで報われず、虚しくなるかもしれない。桃子には真守との夫婦関係だけは守りたかったのかもしれない」(40代・女性) 「職場、実家にも、自分の居場所はもうないと感じていたため、唯一の自分の家、真守の妻という役割、存在意義をなくしたくなかった」(20代・女性) 「ここで夫を手放してしまってはもう、手元になにも残らない」(30代・女性) 夫から不倫を告白され、別れを切りだされてもなお頑なに離婚を認めない桃子だが、彼女の境遇が細かな描写の積み重ねで描かれているからこそ、現状に執着する理由がそれとなく伝わってくるのだ。 ■江口のりこの演技にしびれる!役者たちの怪演にゾッ… この黒い感情蠢く人間ドラマを表現している俳優たちの演技もまた見事。特にストーリーの中心にいる桃子を演じた江口は、言葉数は多くないものの、さりげない仕草や表情で複雑な胸中を体現しており、「江口さんのために書かれた原作ではないのにぴったりすぎてすごい」(60代~・女性)など多くの絶賛が寄せられている。 「江口のりこが暴れまくると予想していたが、むしろ静的に怒りが爆発した演技が重要な作品だった」(20代・男性) 「周りに責め立てるように罵声を浴びせる演技かと思ってましたが、思ったよりセリフが少なく、表情やアクションで表現されていたので、より感情が伝わってきてよかったです」(50代・男性) 「江口のりこさんの熱演に感動しました。特に夫の不倫後の演技は素晴らしかった」(50代・男性) 「怒りに満ちていく様が見事で怖かったし、せつなさがありました」(30代・女性) これらの絶賛の声からもわかるように、不倫が判明後、感情のギアが上がっていく様は圧巻。嬉々とした表情でチェーンソーを振り回したり、それまで穏やかだった語気を強めたりと感情が乱れていく様子を巧みに表現。加えて、背後からまとわりつくようなカメラワークや音の使い方も効果的。桃子が鳥肌を立てる様子や荒くなる息遣いなど、顔は見えなくとも主人公が怒っていることをダイレクトに伝えている。「江口のりこさんがチェンソーへ近づいて匂いを嗅いでいるシーン、すごくシリアスでゾクゾクしました」(30代・女性)など、緊迫感のある演技、撮影に多くの観客が目をくぎづけにさせられたようだ。 その一方で、「小泉孝太郎演ずる夫が想像以上に空っぽな人だった」(50代・女性)などの言葉が並んでいた空虚でクズな不倫夫、真守を小泉孝太郎が怪演。桃子との会話をさっさと終わらせようとする嘘くさい笑顔やボーッとした虚な表情、桃子も呆れるほどのひどい言葉を放つ冷ややかな顔つきなど、ダークな姿は清廉なイメージを持つ小泉だけにインパクト抜群。「踏み込まない両者の演技には脱帽した」(20代・男性)など演技でも夫婦の関係性が表現されている。 また義母の照子も「桃子に寄り添う言動が皆無で不気味だった」(40代・女性)とあるように息子を溺愛し、桃子にさりげなく嫌味な言動をする「うっすら冷たい」(60代~・女性)姑だ。風吹ジュンがベテランらしい絶妙な塩梅で桃子とのうわべだけの関係性を表しており、「野良猫を追い払うシーン。見せ方がとても上手く、桃子に対してかと思いとてもヒヤヒヤしました」(30代・女性)という一幕での、焦点が定かでない眼差しなど、ふとした違和感で観客の心をざわつかせた。 ■多彩な解釈の余地があるラストの決断 また本作は、近所のゴミ置き場での不審火や声は聞こえるが決して姿を見せない愛猫ぴーちゃん、桃子が随時チェックしている不倫SNSアカウントなど、序盤から不穏な空気感が前面に押しだされており、ハラハラ感のあるサスペンスとしても楽しめる。 「サスペンスとしても見応えがあり、徐々に過去が明かされていくたびにイメージが上書きされる。巧みなミスリードに興奮しました」(50代・女性)とあるように桃子への印象がガラッと変わる中盤でのとある劇的な仕掛けを機に物語は急激に動きだす。桃子はチェーンソーを手になにをしようとしているのか?クライマックスに向けて、不穏な要素が桃子の個人的な物語へと収束していく展開は見ものだ。 サスペンスならではの謎めいた部分も多い本作だけに様々な解釈を生んでおり、例えば、「随所で登場するゴミ捨て場がなにを意味していたと思うか?」と質問してみたところ、多岐にわたるな意見が寄せられた。 「日々の不満、不本意などドロドロしたものの掃き溜め場所であると共に、常に綺麗な状態であってほしい、ある種神聖な場所」(40代・女性) 「近所で火事が起き、うちのゴミ捨て場でも起きるかもという心理は、うちもいつか離婚してしまうのかというソワソワ感を表していたのか」(20代・女性) 「桃子の環境の変化のメタファーだと思いました。散らかり方や桃子のゴミの出し方もそうですし、また放火の現場がどんどん近づいてきて最後は桃子たちのゴミ捨て場が放火されるのは、桃子への最後通牒のように感じました」(30代・女性) また桃子がとある決断を下すラストをはじめ、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭の反応に見られたような、多彩な解釈がアンケートには並んでいた。 「周囲から孤立した主人公が自滅していくと想像したが、ラストにはむしろ安堵感がいっぱいになっていった」(50代・女性) 「住んでいた家を取り壊すことで桃子自身の気持ちが少し晴れやかになり解放されたかのような印象を受けました」(30代・女性) 「他人のためになにかをしないと、自分の価値を維持できない人が一歩踏みだすような映画だと思った」(20代・女性) 「ジワジワとした伏線回収がありましたし、観終わったあとにラストのよさがいくつも感じられるような作品でした。登場人物みんなそれぞれ自己愛が強すぎる人たちでしたが、自分も知らず知らずに同じようなことをしているのではないかと…いろいろ考えさせられる」(40代・女性) 「孤独でも生きなければならない、とても考えさせられる作品であり、回数を重ねるたびに見方が変わり何度でも楽しめる作品でした」(30代・女性)というコメントからもわかるように、何度も観たくなるような深さがある『愛に乱暴』。繰り返し観るうちに新たな発見があるかもしれない。 構成・文/サンクレイオ翼