日本酒米の“王者”山田錦に挑む被災地・石巻
東北の米、使わなくていいの? 酒造会社が使えない事情
最高級のお酒を、最高級の米でつくりたい。作り手の当然の思いだ。でも、「東北の地酒」「石巻の地酒」として作り続け、東日本大震災直後には「被災地の」お酒として販売していたのに、原料は他県の米が大半だったと知ったら、戸惑う消費者もいるのではないだろうか。地元の米でつくる必要はないのだろうか? そもそも「地酒」にはしっかりとした定義がない。一般的には「その土地で作られた日本酒」であり、原料が地元産かは問われないのだ。ワインの原料ブドウと違って、米は長距離輸送をしても味が落ちることがないため、他県の優れた米を使うことは一般的だ。 実は、宮城県にもオリジナルの酒米はある。1997年に品種登録された「蔵の華」だ。墨廼江酒造でも平孝酒造でも使っている。だが、蔵の華には山田錦のような大きな心白がない。粒状にまばらにあるため、削ってもしっかりとした心白が残らないのだ。そのため、吟醸や大吟醸には向かない。両酒造とも「キレはあるけど、味にふくらみが出ない」と話す。全国で入賞するような人気酒や、吟醸、大吟醸のような高級ラインナップをつくるには、どうしても山田錦が必要なのだ。
「地元のお米、使わないと」 震災で変わった意識
山田錦なら地元の米よりいい酒が造れる-。作り手たちの、そんな考えを変えたのが震災だった。墨廼江酒造と平孝酒造の社長は「震災の後、地元の米でもっと作っていかないとだめだと思うようになった」と口をそろえる。 旧北上川に近い墨廼江酒造には、80センチの津波が到達。3日後にようやく水が引いた工場内は悲惨だった。原料の米5トンは床に散らばり、まさに酒を発酵中だったタンクも倒れていた。それでも4月には、タンクに残っていた酒をしぼって出荷。1ヶ月でしぼりきり、完売した。「東京や仙台の人によく買ってもらって。商売の背中を押してもらいました」と振り返る。 その後、宮城県大崎市の農家と「蔵の華」購入の契約を結んだ。日本酒ブームで山田錦が手に入りにくくなったことも理由の一つだが、澤口社長は「蔵の華を使ったアイテムを増やしていきたい」と考えたという。「震災がきっかけかと言われればそうかもしれない。今まで宮城や石巻を意識したことなかったけど、不思議なもんです。もっと地元をPRしないと、と考えるようになったんでしょうね」と語った。 平孝酒造の平井社長は震災を経て「地元愛に目覚めた」と話す。平孝酒造にも、膝上まで津波が来た。停電が2週間続き、日本酒造りに必須の温度管理も全くできなかった。でもタンクにかろうじて残っていた酒をしぼり、「絶対負けない石巻」というラベルを貼って売り出した。スタッフや石巻の人々に向けてのメッセージだった。 「震災の後、自分は石巻の地で生かされてるんだと改めて感じた。石巻のため、街の伝統文化としての日本酒を絶やせないって思うようになりました」と語る。今は、宮城県酒造組合や宮城県古川農業試験場とも協力し、宮城発の新たなオリジナル酒米の開発にも乗り出している。