フツーに便利な新しい当たり前
テクノロジーが世の中の常識を覆すという言い方をされることがよくある。そこでは覆したことが讃えられてはいるのだが、「覆す」という言葉の響きがちょっと乱暴に感じることがある。それに、進化はいつもセンセーショナルだとは限らない。たくさんの「フツーに便利」が浸透してくことこそ、豊かな暮らしを感じる導線になる。 ■ 2007年に知った気の利いた言葉 「新しい当たり前」という言い方が好きだ。なんだかワクワクする。この言い方は個人的にたくさんの仕事で使ってきたし、これからも使うだろう。使う頻度も高い。 「ニュー・ノーマル(new normal)」を日本語にしたものだと言われてはいる。経済用語としてのニュー・ノーマルは2007~2008年の世界金融危機後の経済状況を指すようだし、Wikipediaなどを見てみると、2009年頃に米国で新概念として流行語になっていたこともわかる。 気になったので過去に書いた原稿を検索してみると、個人的には2007年から使い始めているようだ。この連載では「毒を食らわば皿まで」というタイトルの回に使っているのが初出のようだ。 「近い将来、自分で作ったデータ以外は手元に置かないことが新しい当たり前になるかもしれない。そうなればコンピュータのローカルHDDを検索すること自体の重みは極端に軽減される。さて、この先どうなりますことやら」(2007年7月20日掲載) と最後の段落でサラッと使っている。その秋には、「プラグ&プレイ、もしくはチャージ」で、 「今やPCはコモディティである。家庭にAC100Vがあることが当たり前であるように、“USB5V”があることを新しい当たり前として認めれば、電子機器はもっと身近な存在になるにちがいない」(2007年9月28日掲載) といった妄想も書いている。 あるいは2007年当時に他媒体で連載していたコラムでも使っている。『「PCは10年すると変わるでしょう」──レノボが見せるThinkPadの気概とは』というタイトルでIBM時代からずっとThinkPadを担当してきた石田聡子氏(当時レノボ・ジャパン広報&マーケティング担当執行役員)にインタビューしたときの記事を、 「大和のエンジニアにとっての普通のことは、我々が考える普通よりも、数歩先をいっている。そうして、ThinkPadは新しい“当たり前”を追求し続けているのだ」(2007年7月19日掲載) と結んでいる。この掲載は前日の7月19日だ。 もうちょっと探っていくと、6月にはイミダスのWebサイトに寄稿したコラムで 「人々は、携帯電話というキカイに、後付けで機能やサービスを付加することを、新しい当たり前として受け入れた」 と書いている。 ■ PCが具現化した多くの新しい当たり前 自分では「ニューノーマル」という言葉にこんな気の利いた訳をつけられるはずもないので、さらに探すと、インテルとパナソニックによる「モアPCプロジェクト」というプロジェクトに関わった時に書いた原稿が見つかった。個人が2台目のPCを持ったらどんな世界が拡がるのかというテーマで取り組むプロジェクトだった。一家に一台とか、一人一台といった当たり前をすっとばし、2台目のPCを併行して使おうという提唱だったのだが、そのプロジェクトの関連フォルダに当時インテル株式会社の社長だった吉田和正氏の挨拶コメントを含むファイルを見つけた。ちょっと長いが同氏のコメントをここに引用しておく。 「目指しているのは、新しい利用形態を作り上げることです。もう1台のPCを、どのように使っていくのか、どう展開していくパターンがあるのかを一緒に考えていきたいと思っています。私たちは、PCの頭脳を作っている企業として、進化が激しいこの分野で、PCを使う色々なスタイルを提案してきました。その結果、かつては考えられなかった“新しい当たり前”ができつつあります。 パナソニックの製品は、本当によく考えてあり、それがスクラッチから作られています。各社の製品にはそれぞれの持ち味がありますが、パナソニックの製品はひと味違うという印象を持っています。品質の点でも、性能の点でも最高のノートPCです。インテルとパナソニックでは、ずっとエンジニアやマーケッターが互いに協力しながらビジネスを進めてきました。このようなプロジェクトでもご一緒できてうれしく思います」。 すでにWebではこのコンテンツが見つからないのだが、手元のファイルのタイムスタンプを見ると2007年の5月1日となっている。その前の週の予定表を確認すると、前月の4月26日に丸の内の東京會舘でこのプロジェクトのキックオフミーティングが開催されて出席している。そこでの吉田社長の言葉を大いに気に入って使い始めたらしいということが想像できる。 冒頭の写真はその時の様子で、プロジェクト参加者が2台目PCとして使うことになるレッツノートの天板色を物色している。 ■ 阻まれもする新しい当たり前 「新しい当たり前」という言葉を知ってからすでに17年かと思うと、本当に遠いところまでやってきたと感慨深い。しかもそれは言葉だけの話で、名前のない新しい当たり前体験という意味では、もっともっと前から覚えがある。 そして、その後も、フツーがフツーでなくなって新しい当たり前が以前の常識を置き換える瞬間に立ち会うごとに、そのうれしさを表現するためにこの言葉を使い続けてきた。 世の中は加速し、古い常識が新しい当たり前に置き換わる頻度も高まった。かと思えば、北陸新幹線などは整備計画が決定した1973年から40年たってようやく全体の8割が完成したにすぎない。全線開通はいつのことになるのだろう。 また、沿線に現在の自宅がある私鉄の連続立体交差事業は、距離にして7.2kmを高架化することで25カ所の踏切を除去するという計画だが、2013年度に事業に着手してすでに10年以上が経過、事業期間は2030年までに延伸されている。仮にそれで完成したとして17年間だ。 これら鉄道の例では当たり前の更新に途方もない期間がかかる。22歳で入社した社員が定年などで退職するのに約40年かかるとして、これらの鉄道に携わる関係者は、いったいその完成した設備を自分自身で利用することができるのだろうかと余計な心配をしたりもする。東京でいえば、渋谷や新宿周辺の再開発に関わる関係者は、その街の完成を見ることができるのだろうか。 技術的な問題のみならず、環境影響や、沿線自治体などとの問題もあるのでなかなか難しい。数々の新しい当たり前を経験し、それまでの常識をリフレッシュすることで、暮らしはどんどん豊かになるはずだが、そうとは限らないという議論もある。 とにかくいろんなことに悩みながら、この先を楽しんでいこうと思う。そのためにも、ささやかでいいから新しい当たり前をできるだけたくさん経験し続けたい。
PC Watch,山田 祥平