新聞記者から直木賞作家へ、永井紗耶子が物語に込める思い「書けない時期は別の仕事もしたけれど、そのまわり道が無駄だったかといえばそうではない」
2023年『木挽町のあだ討ち』で、第36回山本周五郎賞と第169回直木賞をダブル受賞した永井紗耶子さん。受賞第一作となる『きらん風月』の主人公は、江戸時代に実在した文化人・栗杖亭鬼卵(りつじょうてい・きらん)です。 【写真】「従順で貞淑な女性を書こうとして『こんな女性、いる?』と(笑)」直木賞作家・永井紗耶子が語る"時代小説の変化” 若い頃は芽が出ず、紆余曲折や数え切れないほどの出会いを経ることで自分の進むべき道を見出していく鬼卵の人生は、新聞記者、フリーライターを経て作家となった永井さんご自身にも重なります。自分の心躍るほうへ、と語りかける物語に、永井さんが込めた思いとは。 永井紗耶子 Sayako Nagai 1977年、神奈川県出身。慶應大学文学部卒業。新聞記者を経て、フリーライターとして雑誌などで活躍。2010年、『絡繰り心中』で第11回小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。2020年、『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』で第3回細谷正充賞および第10回本屋が選ぶ時代小説大賞を、翌21年に第40回新田次郎文学賞を受賞する。2022年、『女人入眼』が第167回直木賞候補に。そして2023年、『木挽町のあだ討ち』で第36回山本周五郎賞と第169回直木賞のダブル受賞を果たした。また同年、『大奥づとめ』で啓文堂書店 時代小説文庫大賞を受賞した。
若い人の活躍にスポットライトがあたりがちだけど、タイミングは人それぞれ
――35歳になってもまだくすぶっている鬼卵に、円山応挙が「その頃、わてはまだ応挙て名乗り始めたばかりでしたな」と言う場面には、励まされたような気分になりました。劇作に浮世絵、狂歌とさまざまに嗜み、寄り道を繰り返しながら出会った縁を結んで開花していく鬼卵の生きざまは、現代の若者にも響くんじゃないでしょうか。 誰もが藤井聡太くんになれるわけじゃない、というのはみんなわかっていることなのに、年齢を重ねるたびに「自分は何もできていない」「ああいうふうにはなれなかった」と他者と比較し、後悔や劣等感を抱えてしまいがち。でも、今より長寿の人が少なかった江戸時代でさえ、鬼卵のように60を過ぎてようやく芽吹く人がいるのだから、現代においてはその可能性はもっと高いはず。どうしても、若いうちから活躍している人のほうが、強いスポットライトをあてられがちだけど、タイミングは人それぞれ。いくつになっても自分を諦めたり人生を捨てたりする必要なんて全然ないよなと思います。 ――鬼卵が人とのつながりを得ることで、次々と新しい仕事を生んでいく、というのも今っぽいなと思いました。 そもそも『東海道人物志』自体、今でいうSNSみたいなものですよね。知らない土地にどんな名所があって、おいしいものが食べられるのか、知りたいという気持ちは昔も今も変わらない。知らない人と繋がって、おもしろい話が聞けるなら聞いてみたい、という欲求も。だから、東海道の旅が流行っていた当時、鬼卵は「この人のところに行くといいよ」と指南する『東海道人物志』をつくった。でも、どうしてこんなにも多くの人脈に繋がることができたんだろう? と思ったら、そもそも鬼卵は木村蒹葭堂(きむら・けんかどう)と知り合いだったということがわかった。 ――「大坂に来たら蒹葭堂に会わねばならぬ」と言われるほど有名な文人で、本作にももちろん登場します。蒹葭堂がいなかったら鬼卵は大成しなかったのではないか、と思うほど、師匠以上に重要な人物です。 鈍器みたいに分厚い蒹葭堂の交遊録に、鬼卵の名前を見つけたときは小躍りしました(笑)。一口に文人墨客といっても、信頼のおける人とそうでない人がいる。でも、蒹葭堂の知り合いだという担保があれば、ある程度、精査ができるわけです。二人のつながりがみえた瞬間、『東海道人物志』づくりに奔走する第三章の骨格が見えました。 ――蒹葭堂に紹介された青陵という人物に言われた「自由自在に心の躍る方へ」という言葉もまた、その後の鬼卵を支えていきますね。ただ出会うだけでなく、どんな縁を結ぶかも大事なんだなと、本書を読んでいると感じます。 結果を出すことに拘泥しすぎて不幸になっては本末転倒。私も、書けない時期が続いて別の仕事をしていたこともありますが、そのまわり道が無駄だったかといえばそうではない。むしろ鬼卵のように、寄り道した先で出会った人たちとのつきあいが、長く濃厚に続くこともありますし、逃げ道だったはずのものが一生の趣味になることだってあるでしょう。気負いすぎてから回るよりも、今自分の心が躍るのはどの道か、を考えるほうがいいというのは私自身の実感でもあります。