米で大ヒットの映画「オッペンハイマー」 子孫らが語る原爆開発と投下から得るべき教訓とは(1)
■祖父は二度と核兵器が使われないことを願っていた
――映画を観た人たち、特に10代の若者に感想を聞く機会がありましたが、映画の中でオッペンハイマーのある種の後悔を感じ取ったと話していました。オッペンハイマーは戦後、核兵器の国際管理体制の整備を主張し、水爆実験に反対もしました。その背景には、彼のある種の後悔があり、それもあって、戦後は核拡散に反対する立場に転じたと理解していいのでしょうか? 祖父は戦時中の行動について、「後悔」という観点から話すことはありませんでした。しかし、今何をするべきかについては話しました。我々は戦争中にこの核兵器を開発した。今、世界はそれにどのように対応するべきか、ということです。祖父は、世界のこのようなテクノロジーと科学の変化に対する唯一の解決策は、さらなる(世界の)協調だと考えたのです。これは理解できます。我々は、民族同士や国同士など、様々な構図で戦い、最終的に核兵器を得ました。これは、我々が新たな手法で協調しなければならないという事を意味するのです。この点こそが変化であり、「間違ったことをしてしまった。あんなことはするべきではなかった」と、突然理解したわけではないのです。それは全く違います。祖父は、科学(の進歩)は起きるべきものだ、と言ってました。彼にとっては、(原爆の開発は)痛ましい義務ですが、(科学という観点からは)そうしなければならなかったと感じていました。しかしそれよりも重要なことは、我々が前に進み、技術と科学のもたらす脅威に対して、もっと協調するべきなのは明らかだ、ということです。それが祖父の取り組みを要約する正しい方法であり、彼は、我々全員が(核兵器によって)壊滅するという将来の脅威を防ぐために全力を尽くしました。祖父は戦後、アメリカ政府からも攻撃されましたが、だからこそ、我々は、いまだに彼について話しているのです。 ――つまりオッペンハイマー氏は、核兵器を二度と使用してはならないと考えていたということですね。 彼は、我々がもう二度と核兵器を使わないことを願っていたと思います。それが彼の目標であり、私はその考えを広め、原子力のエネルギーへの利用を支持していくつもりです。なぜなら、同じ科学によって、エネルギーも、兵器も作れるからです。科学そのものを変えることはできません。科学そのものを変えて世界を動かすようなことはできないのです。ですが、科学をどう使うか、戦争に有益な産物をどう使うべきかを決めることはできます。 ((2)に続く)