「社長と役員が怒ってテレビ局に乗り込んだ」元カリスマホスト・城咲仁が明かす“テレビ出演減”の理由「家賃30万から5万8千円に」生活の変化を激白
元カリスマホストの城咲仁(46)。その甘いマスクと軽快なトークを武器に新宿・歌舞伎町で5年間No.1ホストを務め、そのことが話題を呼び、テレビ番組に引っ張りだこに。多い時は、レギュラー番組を7本も抱えていたが、いまでは、テレビで見かけることが少なくなった。果たして彼に何があったのか。その理由をABEMAエンタメの密着取材で告白した。 【映像】実家の中華理料理店で働く現在の城咲仁
バンドメンバーの死、酒浸りに…城咲仁の壮絶な過去
現在、実家である東京・板橋区の中華料理店「丸鶴」で厨房に立っている城咲。実は18歳の頃に、後を継ぐことを拒否し、家出した過去がある。 ――どういうきっかけで家を飛び出したんですか? 城咲「後を継ぎたくなくて。それで親父とバチバチだったんです。後継問題で揉めて、手紙置いて勝手に家出したんです。それでバーテンダーやってホスト行ったんです」 ――当時どのくらい修行したんですか? 城咲「半年くらい。でもこの仕事は一生やりたくないって思ってました」 家を飛び出しバーテンを始めた城咲だが、その時に事件が起きた。 城咲「当時、バンドもやっていて…その時のメンバーが僕の顔を最後に見に来て自殺しちゃったんです。部屋で首吊ってしまった。それを見ちゃって。半年間何もできなくなって。持っていたお金も何にかも失って。逆に借金を作ってしまった。もう戻るしかないと言って、何年もずっと口聞いてなかった親父のところに戻って。(親父は)口も聞いてくれなかった。(自分は)朝から夜までずっと酒浸り。酒飲んでいる時に、親父と目が合って『腐ったな』と言われて。そこからバツーンってスイッチ入って、気づいたら成人式の時に着ていたスーツ着て『クラブ愛』の前に立っていた。歌舞伎町のホストクラブ日本一の」
「ホスト時代よりは稼げていない」タレント時代の稼ぎ
21歳でホストデビューし、入社2ヵ月でNo.1になった城咲。その後5年間トップに君臨し続け、当時の年収は手取りで1億円だったという。 城咲「そこからテレビ出たり話題になってそれが何千万、年収何億ってなっていって。(集客は)当時SNSも何もなかったので噂です。『お店で色恋もしないお客さんを口説かない体の関係も持たないで日本一のホストクラブでNo.1とっているやつがいる』って噂になって。21歳で初めてNo.1をとった時もバラエティーから出ていますからね。ホストがテレビ出ている時代です」 ――タレント業でどれくらい月収稼ぎました? 城咲「言ったってフェラーリ1台くらいじゃないですか?ホスト時代よりは稼げていないですよ。ホストを丸6年やってきてトップだし、別にここから何億円も…しばらくは入ってくるけど。自分が30過ぎた時に『(このままで)かっこいいか?』と思ったんですよ」