「時間が止まったようで…」かつて公衆電話を支えた町工場、JAXAから発注を受けて リアル下町ロケット企業「由紀HD」とは
昭和のインフラ、公衆電話の部品を作り続けていた町工場は、携帯電話の普及とともに業績が悪化していました。そんな町工場を父から引き継いで建て直し、JAXA(宇宙航空研究開発機構)からの発注を受けるまでに大きく成長させたのが、由紀ホールディングス(HD)代表取締役の大坪正人氏です。自らも技術者である大坪氏が「ものづくり」を受け継ぐストーリーを紹介します。 【動画】リアル下町ロケット 倒産の危機にあった町工場を継ぎ、航空宇宙産業に挑戦
◆「本能的に機械が好き」 でも継ぐつもりはなかった
2024年現在、グループ9社を持つ由紀HD(東京都港区)。 グループ全体の売上は21年度約76億で、精密金蔵加工をはじめとして、航空機や宇宙、医療、半導体など、幅広い分野で技術力を発揮しています。 由紀HDは、大坪氏の祖父・三郎氏が1950年、神奈川県茅ヶ崎市で創業した「大坪螺子製作所」にルーツがあります。 ねじやナットを作る家族経営の町工場でした。 のちに由紀精密工業と名称を変え、大坪氏の父・由男氏が経営を引き継ぎ、切削加工を中心に精密部品の製造をしてきました。社名の「由紀」は、大坪氏の祖母の名「幸枝(ゆきえ)」からとられたといいます。 家業を見ながら育った大坪氏ですが、若い頃は工場を継ぐ意志は全くありませんでした。 一方で「本能的に機械は好きだった」といい、東京大学で機械工学を選び、大学院へ進みます。
◆「時間が止まっているよう」町工場をなんとかしたい
卒業後、3次元光造形技術で脚光を浴びていたベンチャー企業・インクスに就職し、最先端の製造技術分野で活躍しました。 しかし、2006年、転機が訪れます。 ふと家業を顧みると「最先端の現場で働く自分から見ると、時間が止まっているかのようで……」。 当時、由紀精密の主力は公衆電話の部品でした。 携帯電話の普及とともに、売り上げはかなり落ち込んでいました。 「見放していられない、なんとかしなくては」という思いを強くし、31歳で家業に戻る決断をしました。 当時の由紀精密は、社員十数名の典型的な下請けの町工場。さまざまな先端技術を取り入れる余裕はありませんでした。 「ただ、すごく愚直に精密加工を詰めてきたので、光る技術はあったんです。 公衆電話やカードリーダーの部品を作っており、信頼性は非常に高かった」。大坪氏はそれを生かそうと考えます。