〝闇バイト〟〝トクリュウ〟を予見?「東京難民」から10年 進む貧困・格差
親の破産で転落、ホームレスに
「東京難民」(14年、佐々部清監督)という映画がある。貧困ゆえ国を逃れ他国を目指す「経済難民」ならぬ「東京難民」。今から10年前の東京で、既に深刻な貧困に陥る落とし穴があったのだ。 親がかりでごく普通の気楽な大学生活を送っていた主人公は、唯一の家族である父親の破産、失踪で仕送りが途絶え、授業料、家賃の滞納により大学からもアパートからも一方的に追放される。日雇いバイトに頼るネットカフェ暮らしから、ホストクラブの寮住み込み、作業員宿舎に寝泊まりして(飯場同然の寮で)土工仕事、果てはとうとうホームレス……。たった半年間での画(え)にかいたような転落ぶりである。 彼の周囲の風景にも、ファストフード店で一夜を過ごす人々、薬の治験バイト、生活保護がらみの貧困ビジネス、さらには借金の末にソープランドに売られたり多額保険金をかけられたりの貧困模様がリアルな描写で繰り広げられていく。慌て、焦り、あがき、果ては絶望していく若者の心境が、手に取るように伝わってくる。ここに「闇バイト」の勧誘があったとすれば、ついその気になるに違いない。
一線越える若者たち
福澤徹三による原作小説が雑誌に連載されたのは07~10年、単行本化は11年、映画は14年。新自由主義経済による「格差社会」が流行語になったのは06年だから、それ以来の道筋をたどっていくかのような映画だ。07年「ネットカフェ難民」、08年「派遣切り」……。そして13年の「アベノミクス」は、さらに格差を助長した。 主人公が勤めるホストクラブにそびえ立つシャンパンタワーとは、シャンパングラスをピラミッド状に積みあげ天辺のグラスからシャンパンを注いで順にあふれて下まで流れ落ちる様子を見せる演出である。まるでアベノミクスが目指した経済学上の「トリクルダウン効果」と同じだが、そちらは富を下層にまで届かせることはついになかった。 映画の主人公は、絶望の淵にあっても、「これだけは絶対やってはいけないこと」を守り通す。だが、それから10年後となる現在の若者たちは、次々と一線を越えて「闇バイト」を選んでいく。それだけ、貧困の厳しさが増しているわけだ。 「103万円の壁」とやらの問題もいいけれど、今、この瞬間「闇バイト」を頼ってしまう若者たちの切羽詰まった状況の打開こそ、社会全体で真剣に考えるべきではないだろうか。 「東京難民」はU―NEXTで配信中。
寺脇研