辰巳琢郎、関西学生演劇ブームの立役者として活躍した京大時代。“黒歴史”も経験…劇団には「すごいメンバーが集まっていた」
※辰巳琢郎プロフィル 1958年8月6日石川県生まれ(大阪育ち)。高校時代、演劇愛好会「劇団軟派船」を結成。1977年、京都大学文学部に進学。「劇団卒塔婆小町」(現・劇団そとばこまち)の2期生に。3年生のときに4代目座長に就任。80年代の関西学生演劇ブームの中心で活躍。1984年、連続テレビ小説『ロマンス』(NHK)で全国区デビュー。『辰巳琢郎のくいしん坊!万才』、大河ドラマ『篤姫』(NHK)、『辰巳琢郎の葡萄酒浪漫』(BSテレ東)、映画『龍三と七人の子分たち』(北野武監督)、映画『S-最後の警官- 奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE』(平野俊一監督)、バロック音楽劇『ヴィヴァルディ-四季-』に出演。ワインのプロデュ-ス、近畿大学文芸学部客員教授など幅広い分野で活躍。2024年4月26日(金)~5月2日(木)まで舞台『ワインガールズ』に出演。
修学旅行で劇団の旗揚げ公演
つかこうへいさんの舞台に衝撃を受けた辰巳さんは、それからわずか2カ月足らずで演劇愛好会「劇団軟派船」を旗揚げしたという。 「うちの高校、大阪教育大学附属高校天王寺校舎の教育方針は、一浪すればどこでも好きな大学に入れるから、3年間は充実した高校生活を送りなさいというもの。ドンのような教頭先生が率いる、とにかく自由な校風でした。演劇部がなかったので、劇団を自分たちで作ろうと言って立ち上げて。 本当はもう1人一緒に見に行った友人が中心だったんだけど、自治会の会長になったので、結局『お前がやれよ』って言われて僕が一応代表に。『劇団軟派船』だったから、座長のことは船長って言っていました。それが高校2年生で、3年生の学園祭まで4回公演したのかな。やっぱり原点ですよね」 ――『ストリッパー物語』を見てからわずか1、2カ月で劇団を立ち上げたというのはすごいですね。 「自由な学校ですからね。立ち上げるのはすぐですよ。やるとなったら友だちに片っぱしから『やらない?』って声をかけて、旗揚げ公演の場所に選んだのが修学旅行。昼間は観光して宿に着いて食事。夜は自由時間で、たまにリクレーションをやったり、セミナーをやったりするのが常でした。 『その時間をください』とお願いして公演したんですよ。一応自由参加だったけど、ほとんどが見に来てくれて。劇団員は20人強だったと思います。大阪弁で言うと“いちびり”な連中ですかね。“いちびり”というのは、目立ちたがり屋とかお調子者というか…。 何かやりたがる、おもろいやつが結構いましたからね。そんな連中を集めて、皆に見せ場があるように台本を作って稽古して…青函連絡船でしたから青森から函館まで4時間ぐらいありますからね。そういう移動時間に稽古して、北海道の支笏湖観光ホテルで、修学旅行の最後の夜に旗揚げ公演をやらせてもらったんです。いい高校でしょう(笑)? もちろん賛否両論だったけど、それなりに楽しんでもらえたと思います。化粧を見よう見まねでドーランを塗りたくって…。芝居と言っても、当時人気があった、つかさんの芝居のセリフの一部とか、別役実さんの戯曲から拝借してとか。その当時、最先端のいろんな芝居を切り取って、はり合わせて一つの物語を作ったんですけど。 そして第2回公演は学園祭。附高祭(ふこうさい)っていうんですけど、そこで唐十郎さんの『少女仮面』をやったんです。唐十郎さんの芝居を高校生がやるなんて考えられなかった時代ですから、そういう意味ではパイオニアだったと思いますよ。 当時、『プレイガイドジャーナル』という関西の情報誌があったんです。『ぴあ』より何年も早かったんですよ。他にもサブカルチャー的な情報誌がいくつかあって、自主映画や舞台、音楽系のライブとかいろんな情報が載っていた。そのはしりが『プレイガイドジャーナル』という雑誌でした。日本初の情報誌かな。 その『プガジャ』(プレイガイドジャーナル)にうちの劇団のことを載っけたんです。載っけたら、唐十郎さんの全盛時代だったんでしょうね。学園祭の中の公演なのに、そういうアングラファンが続々と集まってきちゃって(笑)。全然空気感が違うんですよ。 それこそ長髪のいわゆるヒッピーぽい人たちが押しかけてきたので、ちょっと問題になったんじゃないかと思いますよ。すごかった。でもある意味非常に注目されていて、大成功だったと思っているんですけどね」 ――すべてにおいて先駆けて、すごいですね。 「そうですね。早かったと思います。1975年ですから。やっぱりそれも、みんな“いちびり”が多かったからかな。 『何かおもろいことしよう』みたいな、目立ちたがるというか、とりあえず見せ場をとか、いいところを作ろうみたいな感じです。いい意味でも使われるんですよ。“いちびり”精神を発揮とか。『お前何いちびってんねん』みたいな感じで非難する場合もありますけどね」