【箱根駅伝】東洋大・エース松山和希「今までで一番苦しい時期」 どん底から救った両親の言葉
前回大会を10位で終え、18年連続でシード権を獲得した東洋大学。しかしエースの松山和希選手は直前の体調不良で、走ることすらかないませんでした。 【一覧】東洋大学 第100回箱根駅伝のチームエントリー16選手 「今まで陸上をやってきた中で一番苦しい時期だった」と当時を振り返る松山選手。前を向くきっかけをくれたのは、どんなときも応援してくれる両親の言葉でした。
■夢の舞台で鉄紺のエースに
松山選手にとって、箱根駅伝は夢の舞台でした。 「初めて箱根駅伝を見たときに、ここで走ってみたいという気持ちが芽生えて、将来の夢が箱根駅伝になったと思います」 子供の頃からの夢をかなえるために東洋大学へ入学し、その夢は1年目で実現します。 1年生で任されたのは、各大学のエースが集う花の2区。緊張やプレッシャーを感じさせない見事な走りで、1年生の日本選手2区歴代2位となる好成績をたたき出しました。 2年生でも2区を任された松山選手は、チームの順位を4つ押し上げる区間5位の快走を見せます。夢の舞台で名実ともに主役となり、鉄紺のエースの座をつかみ取りました。
■けがと病気に阻まれ 無念のメンバー外
しかし3年生の8月、順調だった松山選手に影が差します。足首を痛め、駅伝シーズンに向けた合宿は不参加。出雲駅伝と全日本駅伝は欠場せざるを得ませんでした。 同年の12月、けがから復帰した松山選手は苦しい表情を見せながら、箱根駅伝に向けた練習に食らいつきました。監督や仲間に支えられ、なんとか最後まで走りきった松山選手でしたが、直後にインフルエンザにかかってしまいます。最終的に箱根駅伝のメンバーには選ばれませんでした。 「なんとかぎりぎりつないできている中で、ここでか、というところでとどめをさされた」と3年目で初めてのどん底を味わいました。
■「やっぱり一番重い」両親からのメッセージ
松山選手はつらい状況を、両親に連絡できずにいました。前回大会は応援自粛が解除され、「1回くらい(現地で)見てほしいなと思っていて、でもチャンスを逃してしまったので、すごく申し訳ない気持ちが大きかった」と振り返ります。 松山選手の父・崇之さんは「せっかく応援自粛が解除されて、現地で応援することができる条件がそろった時に、肝心の自分がでられないというのは、我々には言いづらかったっていうのもあると思う」と連絡できない気持ちを理解していました。