【光る君へ】ついに誕生する『源氏物語』 史実の紫式部はどんな動機から書きはじめたのか
道長が紙を用意してくれたから
このあと、道長は陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)の助言も受け、「前越前守藤原為時の娘」、つまり、まひろ(吉高由里子、紫式部のこと)のもとを訪れる。第30回はそこで終わったが、むろん道長の訪問は、物語の執筆を依頼するためだろう。 ここまで記したのはドラマの流れだから、細部はフィクションである。しかし、『枕草子』が流行し、強い影響力を発揮しているなかで、道長が紫式部に『源氏物語』の執筆を依頼したという流れは、概ね史実と重なると思われる。 まず、どうして道長が依頼したと考えられるかだが、当時の紙が非常に高価だったことに着目したのは、『光る君へ』で時代考証を務める倉本一宏氏である。長保3年(1001)に夫の藤原宣孝(佐々木蔵之介)が死去し、紫式部は寡婦になっていた。また、父の為時は越前守の人気を終え、ふたたび無官になっていた。 『源氏物語』は全54巻で、倉本氏の計算では、少なく見積もって617枚の料紙が必要となる(『紫式部と藤原道長』講談社現代新書)。また、下書きも必要だし、書き損じもあるだろうから、紙はまだまだ必要となる。父親は無官の寡婦が、高価な紙をこれほど大量に用意できたはずがない。 倉本氏はこう記す。「紫式部はいずれかから大量の料紙を提供され、そこに『源氏物語』を書き記すことを依頼されたと考える方が自然であろう。そして依頼主として可能性がもっとも高いのは、道長の他にはあるまい」。 そして、料紙を提供した道長の目的については、「この物語を一条天皇に見せること、そしてそれを彰子への寵愛につなげるつもりであったことは、言うまでもなかろう」という見解を示す(前掲書)。 紫式部にも、夫を失った心のすき間を、物語を書くことで埋めたいといった、個人的な事情はあったかもしれない。しかし、この時代、個人の思いだけで書くことは、経済的にも難しかった。政治的な目的を背景にした道長の要求に応えるかたちで、この最高峰の文学は誕生したと考えるほかない。