新時代に花開くか「令和デモクラシー」
首相や党による政治主導を強化した「平成」
昭和も終わりの1988(昭和63)年、多くの政治家や官僚がスキャンダルに巻き込まれるリクルート事件が発覚した。この事件を契機として、政治改革を求める声が高まってきた。派閥や利益分配中心の政治ではなく、各政党が政策で争い、政権交代可能なデモクラシーを実現しようという動きが出てきたのである。 そうした中、政治改革に消極的と見られた自民党は1993(平成5)年に下野し、8党会派による細川連立政権によって政治改革が実現した。政治改革にはいくつかの内容があるが、最も注目すべきなのは選挙制度改革である。それまで衆議院は、定数が3人から5人の中選挙区制をとっていた。中選挙区制だと同じ選挙区で自民党候補同士が争うので、政党の政策よりもそれぞれの支持団体や後援会への依存度が強くなる。そのため、支持団体への利益分配に注力する「利益誘導政治」や、後援会の組織づくりなどに伴う「カネのかかる政治」が横行するとされた。そこで、定数1の小選挙区制と比例代表制を組み合わせた小選挙区比例代表並立制が導入されることとなった。 この政治改革の効果は、第1に、選挙における党首のイメージが重要となったことである。かつて自民党総裁は派閥の合従連衡で選ばれていたが、改革後は国民の人気が総裁を選ぶ際の重要なポイントとなった。その結果、人気のある総裁(首相)であれば、党内で大きな影響力を持てるようになった。第2に、派閥が弱体化したことである。自民党候補同士が争う中選挙区制では、各候補が政治資金などをそれぞれの派閥に頼ったため派閥に大きな役割があったが、党内での競争がない小選挙区制ではその存在意義は薄れていった。第3に、党執行部の権限が強化された。中選挙区制では自民党の公認がなくても十分当選可能だったが、小選挙区では公認なしでは当選は難しい。そのため、公認権を握る党執行部(総裁や幹事長)の意向に一般議員が逆らいにくくなった。こうして、総裁の権限が自民党内で大幅に強化されることとなった。 さらに、1990年代後半には、中央省庁改革(行政改革)も進められた。2001年から実行されたこの改革の内容は多岐にわたるが、その柱の一つは首相のリーダーシップ強化のための政府組織改革であった。具体的には、政策の企画立案や総合調整を行う内閣府の新設、内閣官房の強化などが実現した。小泉政権でさまざまな改革を打ち出した経済財政諮問会議もこのときの改革によって誕生した。 以上の政治改革と行政改革により、首相のリーダーシップは飛躍的に強化されることとなった。政策決定は首相官邸主導のトップダウン型となり、官僚や与党一般議員が首相の決定に異を唱えることは少なくなった。また、時間のかかる合意形成よりも、多数決での迅速な決定が重視されるようになった。これが平成デモクラシーの特徴である。(参考文献:佐々木毅・21世紀臨調編著『平成デモクラシー』、清水真人『平成デモクラシー史』) 実際、小泉純一郎政権(2001年~2006年)は、郵政民営化や規制緩和など多くの構造改革を断行した。そして、この傾向が最高潮に達しているのが、現在の安倍政権の「官邸一強」状態である。