91歳“伝説の国語教師”の金言 福沢諭吉の弟子も「学び直し」していた いつまでも若々しい脳を作る習慣
青森県弘前市に「伝説の国語教師」がいます。その人の名は佐藤きむ(読みは「きん」)。1955年から主に中学を舞台とした教師生活を始め、1993年からは国立大学の助教授として教鞭をとったその名は津軽地方に住む多くの人に知れ渡っています。 現役を退き、現在齢91を数えてもなお知的探究心を失わずにさまざまな人々と積極的に触れ合うそのスタイルは、充実した「定年後の人生」の礎となっています。 佐藤紅緑、サトウハチローら名だたる文人がいる佐藤一族において、作家の佐藤愛子さんから「もっともポジティブ」と評された “きむ先生”にこれまでの人生を振り返っていただき、学び方、人生哲学にフォーカスします。
【佐藤きむ KIN SATO】 文筆家 1932年弘前市生まれ。弘前大学教育学部卒業後、弘前大学附属中学校などで教壇に立ち、母校の助教授となる。その後、弘前大・弘前学院大などの非常勤講師を経て文筆家に。日本エッセイスト・クラブ会員。著書に『おッ!見えた、目ん玉が!- 八十路の入院体験記-』(津軽書房)など、訳書に『福沢諭吉「学問のすすめ」ビギナーズ 日本の思想』『福翁百話 福澤諭吉』(ともに角川ソフィア文庫)がある。
『学問のすすめ』を現代語訳したのは伝説の元・国語教師
きむさんはこれまでに福沢諭吉の現代語訳をはじめ、教育書、エッセイなど多数の著書を上梓し、いずれも高い評価を受けています。 青森県文化賞(2007年)、弘前市文化振興功労章(2008年)、青森県褒賞(2016年)を受賞、文化庁地域功労者(2018年)として表彰されるなど、きむさんの熱意あふれる教育活動は国も認めるところです。 祖父・佐藤弥六は天保期の生まれで、大正期に天寿をまっとうするまで国事と郷土の事業のために奔走した弘前の名士。 幕末の上京時に福沢諭吉の塾で英学を学んでおり、次男の佐藤紅緑はきむさんの伯父。紅緑の子であるサトウハチロー、佐藤愛子らもそれぞれ文業で数々の名作を生んでいます。 文壇の歴史の中でも特異な一族ながらも、その血脈を感じさせないポジティブマインドの持ち主です。