ハイレグ&水着で見せた美脚は健在…!親友の死、結婚・出産を経てたどり着いた荻野目洋子の“昆虫愛”
『ダンシング・ヒーロー』が大ヒット。同級生には武田久美子、井森美幸ら
’24年4月で、歌手デビュー40周年を迎える荻野目洋子。かつては荻野目チャンと呼ばれ一世を風靡し、近年では“バブリーダンス”の登美丘高校のダンス部が『ダンシング・ヒーロー~Eat You Up~』を使用したことをきっかけに、再び脚光を浴びることになった。 【画像】石田ゆり子、森高千里…やっぱり美しくてカッコいい「50代女優」秘蔵画像集 荻野目は’68年12月10日生まれ、千葉県出身。小学4年生のとき、『ちびっこ歌まねベストテン』(東京12チャンネル)に出場したことをきっかけに、アイドルグループ「ミルク」として活動。 「よく姉(女優・荻野目慶子)の影響で芸能界に入ったようにみられます。でも、それはちがうんですよ。ちいさいころから歌が好きで、歌手になりたいと思ってたんです。 だから、単純にデビューという点では姉よりずっと早い」(微笑’87年5月16日号)という。 1年ほどでグループが解散となり、その後はアニメ『みゆき』の声優オーディションを受け、声優デビューもしている。 荻野目が本格的に芸能活動を始めたのは中学2年生のとき。後に観月ありさや安室奈美恵、MAX、SPEEDらを輩出するライジングプロダクションの最初のタレントとして所属し、高校は東京の堀越学園高校に進学。同級生に武田久美子、井森美幸、森口博子らがいる。 その後、15歳となった’84年4月3日にシングル『未来航海-Sailing-』でソロデビューを果たす。このデビュー曲の売り上げは7万枚と、まずまずの売り上げではあったが、トップ10入りは叶わず、以降もデビュー以来、目立ったヒットに恵まれなかった。 ’85年にリリースした7枚目のシングル『ダンシング・ヒーロー~Eat You Up~』が大ヒットを記録。「ニューヨークの五番街の交通を全部止めて、車の上で『ダンシング・ヒーロー』を歌ったことがあります。(中略)お金、いくらかかったんだろう…って(笑)」(an・an’18年3月21号)ということもあるなど、まさにバブルの勢いを象徴するようなナンバーとなった。 ◆親友・岡田有希子の死。今でも墓参りは欠かさず その後も『フラミンゴ in パラダイス』『Dance Beatは夜明けまで』『六本木純情派』など曲を立て続けにリリースし、アイドル歌手としてスターダムに登りつめる。その一方で、同時期には荻野目にとって、現在に至るまで忘れることのできない辛い体験もしている。’86年、一つ上だが同じ学校に通い、同じ年にデビューし、番組収録でもよく一緒になっていた親友、岡田有希子の自殺だ。