ハイレグ&水着で見せた美脚は健在…!親友の死、結婚・出産を経てたどり着いた荻野目洋子の“昆虫愛”
当時まだ17歳だった荻野目が大きなショックを受けたことは想像に難くなく、岡田の死から一年経ったインタビューでも「そのことはもう聞かないでください。有希子ちゃんの死は、やっぱりまだ気持ちの整理がつかないというのか、わからないままなんです」(微笑’87年5月16日号)と語っている。また、現在に至るまで、愛知県にある岡田の墓には、定期的に墓参りをしているという。 プライベートでは、’01年に堀越学園高校の同級生だったテニスプレーヤー、辻野隆三と結婚。辻野とは高校時代に交際をしていたこともあり、16年ぶりに再会したときに「やっぱり気が合うね」と意気投合(女性セブン’01年11月8日号)し、再会から約7ヵ月での入籍となった。後に3人の娘を出産する。 ◆リバイバルと昆虫愛 結婚後は仕事をセーブしながら子育てに集中していたが、結婚した時期の前後から、本人が知らないうちに東海地方を中心に盆踊りで『ダンシング・ヒーロー』が使用されるというムーブメントが起こっていた。 「私がそのことを知ったのは、二〇〇一年でした。岐阜県の商工会議所の方から事務所に『毎年大変な盛り上がりです。ぜひ、荻野目さんにも見ていただき、生歌を披露していただけないでしょうか』というお手紙をいただきました」(文藝春秋’18年2月号)といい、荻野目も祭に参加して大トリで『ダンシング・ヒーロー』を披露、アンコールにまで応えるほどだったという。 その後は芸人・平野ノラのバブリーネタや登美丘高校ダンス部の影響もあって、『ダンシング・ヒーロー』と荻野目に再び大きなスポットが当たることとなり、登美丘高校ダンス部が話題になると、彼女らとの共演依頼が殺到し、ふたたび『ダンシング・ヒーロー」』で脚光を浴びる形となった。 こうして露出が増えるにつれ、ミニスカート姿でステージに立ち、かつてハイレグで見せた美脚の健在ぶりも話題に。往年のファンを大いに喜ばせた。 そして近年、荻野目がさらに世間の注目を集めるようなった番組が、’22年9月にスタートした『荻野目洋子の虫はともだち』(J:COM)だ。ダンスビートソングや六本木、バブルといったイメージが付きまとう荻野目だが、実は子供の頃から虫が好きだったといい、出産後、山梨で暮らしていた時期に娘たちを通じて“虫愛”が再燃した。 「南米に生息しているモルフォチョウは、いつか必ず生で見てみたいです」「生まれて初めて“生ナナフシ”を見たのでとても感動しちゃって」(ともに女性セブン’22年9月15日号)といい、番組ではつなぎを着て虫の捕獲に奮闘している。それ以前には’20年に『みんなのうた』(NHK)で自ら作詞作曲した『虫のつぶやき』を発表するなど、虫に対する情熱が沸いているようだ。 『ダンシング・ヒーロー』のリバイバルを経て、かつては“カマキリ先生”こと香川照之が独走していた芸能界の昆虫フィールドを、今は荻野目がトップランナーとして走り出している。 取材・文:高橋ダイスケ
FRIDAYデジタル