ヤクルトのルーキー・青木宣親が、当時の若松勉監督へのアピールに利用して成功した日本古来の習慣とは?
後になって若松監督からは、「あの年賀状からもの凄く気持ちが伝わった」と言っていただきました。実際に、キャンプの10日目くらいに、チーフコーチの渡辺進さんが僕にこう言ったことを覚えています。 「お前を絶対にレギュラーで使うって監督が言っているから」 嬉しかったですし、これはまさにチャンスだ、と思いました。絶対にこのチャンスを掴んでやる、と。 そこでさらにギアが上がりましたね。まず目先の目標はオープン戦をいい形で終えること。そこから開幕に繋げてポジションを不動のものにする。結果を出し続けて、シーズンが終わった時には絶対に首位打者を獲得する。そこまでの道筋を、自分の中ではっきり見据えていました。 ● 「行ききる」という覚悟で どんな状況でも試合に出続けた 当時はもちろん、そんなことは周りには言えなかったです。実績として1年目は一軍でたった10試合しか出ていない選手。それがいきなり「首位打者を獲る」ですからね。こいつ何考えてるんだ、って思われるだけでしょう。でも、自分としては本気も本気。絶対に実現するという強い思いを、心の中で滾らせていたんです。 実際にその年は、思い描いていた通り首位打者(打率.344)になり、202安打を打って最多安打、新人王も獲ることができました。当然、それは簡単にできたことではありませんでした。一軍で試合に出続けるのは初めてのことですし、苦しい時期は何度も来ました。でも、自分の中では決めていたんです。肉離れを起こそうがどうなろうが、絶対にこのチャンスは手放さない。怪我をしても周りには絶対に言わない、と。 実際に何度も怪我をしそうになり、その度になんとか持ち堪えた。シーズン終盤には、ハムストリングの筋挫傷のような状態でもプレーを続けていました。普通なら無理だったと思うんですけど、1日だけ休んで、次の日からはテーピングでグルグル巻きにして試合に出た。人間必死になれば、何だってできるんだな、って(笑)。