西田敏行さんのような俳優は二度と現れない 庶民さと威厳さを兼ね備えた唯一無二の個性
俳優の西田敏行さんが亡くなったことが10月17日に発表された。76歳だった。映画、ドラマ、舞台と数え切れないほどの作品に出演し続け、デビューから半世紀以上にわたり日本のエンタメ界にとって欠かせない存在だった西田さん。途切れることなく出演作を観続けることができただけに、その突然の訃報に、多くの人々が驚きと悲しみを隠せずにいる。 【写真】西田敏行さんがいたからこそ成立していた『俺の家の話』 代表作を挙げていくときりがないと言える西田さんのフィルモグラフィーの中でも、特に多くの人の記憶に刻まれているのが1981年に放送されたNHK大河ドラマ『おんな太閤記』だ。ライターの木俣冬氏は、『おんな太閤記』をはじめとした代表作を振り返りながら、「西田さんのような俳優はもう二度と現れないのではないか」と語る。 「西田さんは大河ドラマに14作品出演されていて、『山河燃ゆ』(1984年)、『翔ぶが如く』(1990年)、『八代将軍吉宗』(1995年)、『葵 徳川三代』(2000年)の4作品で主演を務めています。徳川家の人物をたびたび演じられていたので、家康の“狸親父”のイメージが強い方も多いと思うのですが、国民的とも言える人気を得たのは『おんな太閤記』で演じた豊臣秀吉役だと思います。当時はまだ30代でしたが、親しみやすい人柄と同時に、後にこの人は天下人となると思わせる器の大きさを兼ね備えていました。放送時、西田さんの秀吉は本当に多くの視聴者に愛されていました。親しみやすさはあるのに、ただふざけているわけではないところが西田さんの凄いところ。劇団青年座出身ということもあり、相当な勉強を積まれて芝居にも取り組まれていたと思うんです。自分に厳しく、とことん芝居に向き合っていたと聞きます。ともすれば、近寄りがたいオーラ、“分かる人には分かればいい”といった芝居になってもおかしくないのに、そんなふうにはまったくならずに、どんな人が見ても思わず親近感を抱いてしまう柔らかさがあった。老若男女に愛されるこんな俳優はもう二度と現れないのではないかとも思っています」 親しみやすさの一方で、徳川家康役に象徴されるように、どこか“裏”を持った人物もお手の物だった西田さん。木俣氏は「ここまでの振り幅を持った俳優はほとんどいない」とその演技力を称賛する。 「西田さんの凄いところは、秀吉のような“庶民派”も演じられると同時に、北野武監督作『アウトレイジ』シリーズで演じた役柄など、“巨悪”の人物も巧みに演じられるところ。本当に恐い人物になりますよね。大河ドラマにあれだけ出演されていたのも、歴史上の人物は、表にも裏にもなるからだと思うんです。若い頃は純真でも歳を重ねて出世をしていくにしたがって、人間の闇の部分も表現しなくてはいけない。“戦”がある大河ドラマの人物を表現するにあたって、西田さんの振り幅は物語に奥行きを生み出すためにも欠かせないものだったのではないかと思います。西田さんの大河ドラマ1作目『新・平家物語』(1972年)で演じた役は北条義時。最後の大河ドラマとなった『鎌倉殿の13人』(2022年)は主人公が北条義時(小栗旬)だったこともあり、ここにも何か運命を感じてしまいます。西田さん自身が大河ドラマの歴史と言っても大げさではないかもしれません」 1980年代、圧倒的に国民的人気俳優だった西田さんのような俳優がいまいるかというと、時代の違いもあってあげるのは難しいが、「強いて言うなら……」という条件付きで木俣氏は共演作の多いある俳優の名前を挙げた。 「『鎌倉殿の13人』に先日放送されたSPドラマ『終りに見た街』(テレビ朝日系)でも共演されていた大泉洋さんでしょうか。西田さんは俳優業以外にも、歌手活動や司会業などマルチな活躍をされていましたが、大泉さんも幅広く活躍されています。そして、誰からも愛されている。お二人の共通点として挙げたいのが宮藤官九郎さんと三谷幸喜さんの作品に起用されてきた点です。宮藤さんも三谷さんも、“西田さんならどうにかしてくれる”といった部分で役を作っていた部分も大きかったように思うんです。“笑い”を軸にする作家の二人が信頼している特別な俳優という存在が何人かいるとして、そのおひとりで最高峰だったのが西田さんです」 西田敏行さんの死は、日本の芸能界に大きな喪失感をもたらした。しかし、彼が残した数々の名演と、人々の心に刻まれた存在感は、これからも長く語り継がれていくことだろう。
石井達也