「ここ夜みたいに真っ暗ですね」動かない瞳孔を見て、地下鉄サリン事件の“犯人”を29分で解明した男
---------- 30年を超える記者生活で警察庁・警視庁・大阪府警をはじめ全国の警察に深い人脈を築き、重大事件を追ってきた記者・甲斐竜一朗が明らかにする刑事捜査の最前線。最新著書『刑事捜査の最前線』より一部を連載形式で紹介! ---------- 「3人だけの秘密だ」オウム真理教の実験棟で作られていたサリンを解明した男
地下鉄サリン事件の一報
農薬や工業用薬品など日常に流通する有用な化学物質のうち、飲んだり皮膚に触れたりすることで人体に危害を与える毒性の強い毒劇物が使われた犯罪は、地下鉄サリン事件や和歌山毒物カレー事件など多くの犠牲者を出し、その手口は社会を震撼させてきた。毒劇物は盗難、紛失の防止措置や容器への「医薬用外」「毒物」「劇物」などの表示が義務づけられ、毒劇物法に基づき計545物質が指定されている。物質の特定に手間取れば被害が広がり、客観証拠を得にくいため捜査が難航して「迷宮入り」する恐れもある。科学を使った捜査と、関係者の行動を詳細に探る「人の捜査」をいかに融合させるか――。 13人を死亡させ、6000人以上に重軽傷を負わせた“犯人”と対峙したのは東京・霞が関の警視庁に隣接する警察総合庁舎の屋上だった。 1995年3月20日午前8時20分。警視庁科学捜査研究所(科捜研)の第2化学科化学第4係主査だった服藤恵三は、この庁舎の8階にいた。出勤して白衣に着替えた直後、救急車のサイレン音が耳に入る。最初は1台だったが、どんどん増えていく。7階の庶務の部屋に降りると、警察無線からは大勢の人たちの被害を伝える現場警察官の荒い声が流れていた。霞ケ関、築地、人形町、茅場町で人が倒れている……。営団地下鉄(現・東京メトロ)3路線の各駅が修羅場と化している様子が無線から浮かんだ。 地下鉄という半密閉空間で何らかのガス化する毒物がまかれたのではないかと考え、緊急鑑定が舞い込んでくる可能性があるためすぐに8階に戻った。持ち込まれた資料から原因物質を取り出す「溶媒抽出」の準備をすぐに始めた。 9時5分。3種類の溶媒をそろえたときだった。築地署の刑事が部屋に駆け込んできた。服藤と目が合った刑事が突き出したのは、3重にした数センチ四方のビニール袋の中に入った薄い茶褐色の脱脂綿だった。「緊急鑑定をお願いします!」。日比谷線築地駅に停車した車両の床にたまっていた液体を拭き取ったものだという。刑事は捜査1課の幹部の指示で地下鉄の大惨事の原因とみられる液体を運んできた。