「1年目のルーキーの社会人なので、そういう意味で『日々勉強』していきながら」プロ野球元・ソフトバンクホークス 和田毅さん 地元・出雲市で語ったふるさとへの思いとこれから
Q:日本球界復帰からホークスでは? 「アメリカでの4年間での特にマイナーの時間が長かったので、そこで考え方も変わりましたし、そのスタッフ、裏方さんの気持ちっていうのをすごく考えましたし、戻ってきてから9年間ってのは、若い子たちへの、指導ではないですけど、良い方向へ導くための一つの役割っていうのも自分には担っているなと思いながら、そういうのを少しでも手助けできたらなって思いでもやってましたね。」 Q:現役引退の決断については。 「2018年以降は、もう毎年のように 『駄目だったらやめよう』っていう思いでやってたのがもう5年ぐらい続いて、よく5年も続けられたなっていうのが本当自分の中の素直な気持ちなんですけど。でもその中で、1年1年一生懸命投げましたし、もう悔いのないように投げて、クールな日々を過ごしたつもりですし、今年、膝の痛みだったり腰だったり、調子がなかなか上がらなかった。いろいろなサインを体が走ったので、これはもうやめる。やっちゃいけないサインなんだなと自分では思ったので、すぱっと自分の中では、うん。諦めるっていうよりはもう、ここだな今年だなと思って、7月にはもうほぼほぼ決断して妻の方にも伝えてましたし、9月にはもう球団の方に。」 Q:これから島根県の野球との関わりは? 「まだね、自分の役職がまだ球団として多分残る可能性もまだありますし、役職はまだ決まってないので指導ができるできないっていうね問題っていうのも。(和田毅杯少年少女野球大会は)現役を辞めたとしても継続していきたいですし、たくさんの方の協力で今、運営もできているので、今後さらに大きい形で皆さんに協力してもらいながら、本当子供たちにとって、僕自身が『こんな大会があったらいいな』っていう思いで作った大会でもあるので、子供たちもそういうふうに思ってくれてると思うので、ずっと継続していけたらいいかと思います。」 Q:これからの目標は。 「『日々勉強』ですね。これからは野球だけではなくて違うことも勉強していかないといけないですし、野球以外の事は全くわからないです。1年目のルーキーの社会人なので、そういう意味で『日々勉強』していきながら、その勉強してきたことを将来野球に還元できるように頑張っていきたいと思います。」
「本当に22年間応援ありがとうございました。今後はまだ決まっていないんですけどまたいつか勉強してきたことで、球界に戻れるように努力していきたいと思いますので、これからも変わらず応援していただければうれしいです。本当にありがとうございました。」
山陰放送