「1年目のルーキーの社会人なので、そういう意味で『日々勉強』していきながら」プロ野球元・ソフトバンクホークス 和田毅さん 地元・出雲市で語ったふるさとへの思いとこれから
Q:高校2年3年と夏の甲子園連続出場されました。 「2年のときはもうがむしゃらにやって、先輩もいましたし、怖いもの知らずじゃないですけど。あれよあれよという間に勝ちゃったっていう方が正直な気持ちなんですけど。3年生のときはねもう2年の甲子園でもう悔しい負け方をして、これはもう甲子園に出るだけじゃ先輩に顔向けできないなと。勝つことで、ようやく先輩に顔向けできるなと思ってたのでそういう気持ちでやってましたし島根県内ではね絶対負ける気はしなかったですね。夏の甲子園があったから早稲田大学に行ったのだと思います。」 Q:早稲田大学時代は? 「4年間というのが自分にとって本当に大きな一番の人生のターニングポイントもありましたし、その4年間があったからこそプロに進めたんだと思ってます。」 Q:ホークスに進んだ決め手は? 「球場の雰囲気ですよね。当時パ・リーグはセ・リーグに比べるとお客さんが全然いない中で野球をやってるってイメージだったんですけども、(現在の)みずほPayPayドームに限っては満員だったので、当時『マンデー パ・リーグ』ってね、月曜日に試合があったんですけど月曜日の試合をテレビで見た時に、平日の月曜日なのに満員だったので、びっくりしたというか、ホークスにどんな魅力があるのかなって、すごい引き寄せられるものがあって。また応援してる雰囲気も、もうほとんどがホークスファンで、これだけ応援してもらえる球場っていうのはなかなかないんじゃないかなと思ったし。早慶戦時の早稲田の応援に雰囲気が似ていて、自分が求めてる応援というか、応援してもらえる形に一番近いんじゃないかなと思いました。あの雲の上の存在だった松坂大輔がパ・リーグにいるっていうこともありました。松坂世代という意味で『自分がダイエーで先発になれば注目してもらえるかな』とか。一番の決め手やっぱりその球場の雰囲気ですねやっぱり。」 Q:アメリカでの時間は? 「一番ね、自分にとって苦しいというか、しんどい時間時期ではあったんですけれども、でもあの4年があったからこそ今の自分があると思って思ってますし、43歳までやれたと。うんそこはもう、うん。自信というか、…自信を持っているかなと思います。」