「東京の俳優」から愛媛・東温の?? 斉藤かおるさんのユニークな半生に迫る(後編)
東京で20年以上、俳優として活動していた斉藤かおるさん(55)=東温市=は安定した生活に憧れ、妻の実家がある四国で働きたいと思っていた。2015年の夏、坊っちゃん劇場(東温市)が「正社員・俳優」を募集していることを知り、転職と移住を決断する。 斉藤さんが半生を振り返るインタビュー記事。後編では、愛媛での日々と、仕事を変える決断を下したときの気持ちなどを聞いた。 「四国で、自分のキャリアを生かして安定した仕事に就けるチャンス。すぐに応募しました」。熱意が伝わり、2016年春の入社が決まった。購入した都内のマンションを手放し、家族で東温市へ移住。愛媛には縁もゆかりもなかったが「不安よりも楽しみのほうが大きかった」 希望にあふれた新生活を始めた斉藤さんだったが、いきなり壁にぶつかった。入社後に配属されたアウトリーチ事業部は、学校などで短いミュージカルの上演とワークショップを実施するのが主な仕事。だが斉藤さんは、自分がミュージカルをやるとは思っていなかったという。これまでの活動はセリフ劇が中心。歌やダンスの経験は乏しく、当時は楽譜も読めない。苦労の連続だったそうだ。 それでも仕事に励み、東京時代よりも精神的な安定感を得られた。「舞台に携わって安定した収入を得られる。東温に来てからの日々は充実していました」 入社して約4年が過ぎたころ、新型コロナウイルス禍が社会を襲った。学校の休校やイベントの中止が相次いだ。図らずも自身の将来に考えを巡らせる時間が増え、迷いが生まれた。 憧れのサラリーマンになれて、コロナでも解雇されない。ただ、このまま定年まで会社に居続けるのだろうか。斉藤さんには、ひそかに思い描いていた仕事もあった。未経験の人に演劇のメソッドを教える「講師」だ。今の自分はそこから遠い所にいる気もした。 妻にも背中を押され「どうせ後悔するなら行動してみよう」と決心。2020年12月に坊っちゃん劇場を退職した。 次に選んだのは「地域おこし協力隊」だった。 任期3年の活動で代表的なのが、オーディションで選んだ市民を主要キャストに起用し、シェークスピア作品の舞台をつくる「伊予の国シェイクスピア」だ。 長年、シェークスピア作品に出演してきた斉藤さんは「作品の主題は喜びや悩み、嫉妬など、いつの時代も変わらない人間の気持ちです。だからこそ、いつの時代も新鮮に見える。現代でも上演されているのは、作品の普遍性が理由だと思います」と語る。その魅力を広く知ってもらおうと立ち上げた企画だった。 第1弾だった2022年9月の公演「間違いの喜劇」には、オーディションで選ばれた約20人が出演。3カ月間、メンバーが仕事を終えた平日の夜や休日に稽古を重ねた。迎えた本番は、全日程で用意した約60席が埋まり、急きょ追加公演をする盛況ぶりだった。第3弾となる「から騒ぎ」も来年2月に予定だ。 今年3月に任期満了で協力隊を退任し「やりたいことができて、本当に幸せでした。大変なことはたくさんあったけど、やりがいをすごく感じていました」と笑顔で振り返った。退任後は、とうおん舞台芸術アカデミーで実施している演劇講座の松山版となる「市民演劇教室松山校」を7月に開講した。小学4年以上なら誰でも参加でき、現在は20人以上が受講。毎週火曜の夜に松山市総合福祉センターなどで稽古をしている。 東京での俳優時代、東温市へ移住後のサラリーマンや地域おこし協力隊員といった斉藤さんのユニークな経歴は、それぞれの局面で自分の望む生き方を考え抜いた結果だった。 幾度か経験した「仕事を変える」という決断については「怖かったですね。何なら今でも怖いし、めちゃめちゃ不安ですよ」と苦笑しつつ「別の道に魅力を感じたとき、収入なども含めて何とかなると思ったんです。むちゃくちゃ我慢し続けるよりいいし、それで失敗しても諦めがつくから」と当時の心もちを教えてくれた。
愛媛新聞社