ex JAYWALK中村耕一 家族がいなければ「再犯するんだろうなって」 事件触れた映画に主演、70歳で新境地
ex JAYWALKの中村耕一(73)が70歳を超えて演技に初挑戦初主演した映画「はじまりの日」(11日公開、日比遊一監督)は、中村が2010年に起こした覚醒剤取締法違反と密接に関連している。中村が演じるのはある事件をきっかけに音楽を封印した伝説のロッカー。判決言い渡しの場面、音楽仲間から罵倒される場面、音楽を失って職探しをするも断られる場面など随所で実際にあったことが描かれている。4年間の執行猶予が14年に終わって今年で10年。中村に現在の心境を尋ねると「一生背負っていかなくちゃいけない」「いろんな人に助けられた」と悔恨と感謝の言葉があふれた。(※ex JAYWALKは元JAYWALKの意味) 【写真】真剣な思いで語る中村耕一 中村はバンド時代、プロモーションビデオの撮影で演技を求められても断ってきた。どうしても苦手だった。それを表すように、セリフはボソボソとなりがちだ。その中村が圧倒的な存在感を放つシーンがある。劇中で清掃会社の同僚が急死。その息子が中村演じる“伝説のロッカー”に懇願する。「おじさん、有名な歌手だったんでしょ。親父のために一曲歌ってあげて」。伝説の男はテイラーのアコースティックギターを手にし、ストラップを肩にかける。中村自身の楽器だ。最初のコードはB。ストロークが数小節続き、中村の野太い声が響く。 「おれの 歌を 歌おう!」 全身が楽器と化したかのような朗々とした歌声が3分つづく。中村の声は聴いている者の心を容赦なくつかんで揺さぶる。単にうまいだけではない。紅白にも出場した売れっ子ミュージシャンが逮捕されて有罪となるほどに落ち、周囲に多大な迷惑をかけた-。複雑な感情が重層的に詰まっている。 この場面について中村は「本当に緊張しました」と振り返った。「生歌でそのまま音を録りますから。歌い直しはできるにしても、ものすごく喉にきつい、負担のかかる曲なんです。ギター1本となるとバンドで歌うより倍の負担がかかる。実際のところ歌い直しはできないから、一発勝負だとのぞみました」。曲のタイトルは「歌」。事件後、ミュージシャンの三宅伸治と作った。三宅は故忌野清志郎さんのソロ活動を最後までサポートした人物だ。 作中の伝説のロッカーについて中村は「半分は僕のこと」と話す。法廷シーンで裁判官が「懲役2年、執行猶予4年」と判決を言い渡し、「ファンを傷つけないで」「私もあなたのファンです」などと諭す場面がある。裁判記録を元にしており、事実に基づいている。他にも音楽仲間を演じる竹中直人から「お前のせいで何人の人間が迷惑こうむったと思ってんだ!」と非難されるシーンもある。事件を受けバンド結成30周年ツアーはすべて中止となっていた。 事件後、中村は音楽をやめようと決心した。中学生時代にビートルズに出会い、影響を受けて始めた。続けたかったが「やめなきゃいけないという思いだったんです。自分にとって本当に大切なものなんですが、責任上やめなければいけないという思いでした」。 判決後にバンドを脱退。その時、JAYWALKにおける中村がかいたヒット曲約50曲を10年間歌わないという契約をかわした。中村は「音楽をやらないと決めたんだから歌わなくていいやと思って判を押しました」と話し、なかば衝動的な判断だったことをうかがわせた。 音楽から離れて別の仕事を探した。しかし、年齢や経歴などがひっかかって見つからない。映画にも同様のシーンがある。事実婚関係にあり、タレントの矢野きよ実(62)から「家のことをやって下さい」と頼まれた。中村は家族のご飯当番となり、毎日スーパーに通って食材を買い、料理を振る舞った。これが映画に生きた。劇中、歌手を目指す女性を自宅に招き、食事を出すシーンがある。中村はプロ顔負けの早いテンポでねぎを包丁で切ってみせた。「本当は包丁の先っぽをまな板から離してはダメなんです。パッパッパッて切るのがプロなんです」と右手を包丁に見立てて指先をテーブルにつけ、得意げに解説した。どうやって学んだのか。 「いまはケータイで何でも!包丁の研ぎ方まで出ています」 取材に同席していた事務所関係者から「音楽の勉強をしていると思ってたよ!」とツッコミが入り、中村は頭をのけぞらせて苦笑いした。 音楽から離れた生活を初めて約1年後、三宅が中村に「一緒に曲を作りませんか」「アルバムを作りませんか」と誘った。三宅の詞に中村がメロディーを乗せた。2013年2月15日、名古屋市内のライブハウスで復帰第1弾ライブが実現した。中村は「伸ちゃんには感謝してもしきれない」と繰り返し三宅の名前を口にした。 ゆっくりと音楽活動を再開するなかで日比監督と出会った。映画出演オファーを受けたときは即座に断った。演技に経験がなく、自信がなかったからだ。3回目に会ったとき、台本を渡され、読んでみてほしいと言われた。「素晴らしい内容だと思いました。落ちたミュージシャンが這い上がっていく話と歌姫を夢見る女性。ふたつの物語が進行する。自分に重なる部分がありました」。中村の中で「やったことのない世界を体験することへの興味」が生まれ、オファーを受けた。 実際の事件と密接に関連する内容に抵抗はなかったのか。中村は「以前は事件を報じる新聞を見ることもできませんでした。でも、今は受け止めることができます」と静かに話した。 現在はライブハウスを中心に活動している。全国で需要があり、かけまわる。チケットは発売後すぐにソールドアウトになる。昨年は約100公演をこなした。故郷の北海道、関東、関西、中部、中国、四国。今年は沖縄にも行った。 アコースティックギター1本で迫力のステージを展開する。しかし、矢野によるとバンド時代はギターがうまくなく、メンバーから「弾かないで」と言われていた。ステージでは弾いているように見せていたものの音は出ないようになっていた。脱退後に「ギター教則本」を3冊購入。店員に笑われた。 今年で執行猶予が終わって10年。2013年のデイリースポーツのインタビューで中村は月に一度、カウンセリングを受けていることを明かしていた。「5年、受けました。あるときに先生が『もう、いいですよ』と言ってくれました。院長も、僕の担当医もとてもいい先生でした。僕の復帰ライブも見に来てくれたんです。名古屋の1本目、東京の1本目も」。 中村は続ける。「この10年、いろんな人に助けられました。いい意味での足枷がいっぱいあるんです。かみさんだったり、息子だったり。仕事仲間だったり。そういうのがなければ再犯するんだろうなって、ずっと…。どれだけの迷惑をかけたんだって話で。一生背負っていかなくちゃいけないことです」 反省と悔恨、そして感謝。中村の歌声はますます深みを増していくことだろう。