「16連射のコツは震え」ゲーム好きじゃなかった高橋名人(64)「伝説」は会社の任命で始まった
■会社の命令で誕生した「高橋名人」 ── ここでようやくファミコンと名人がつながりました。でも、一般の社員から名人になるのはどういう流れでしょうか? 高橋名人:当時、ファミコンソフトの販促で、子ども向け雑誌の『コロコロコミック』さんとよくおつきあいしていました。 ファミコンを題材にした漫画が同誌に掲載されていた時期でもあり、「コロコロまんが祭り」というイベントに社員として参加。そのときの私の実演がかなり子どもたちに好評だったんです。
それを見たハドソン社長が、「これを全国でやったら面白いんじゃないか?」と、急きょ全国キャラバンやファミコン大会などのイベントを夏休みに企画することにしました。 ── いよいよ「高橋名人」誕生ですね。 高橋名人:イベントでは「こうやったら点数が獲れるよ」と、デモンストレーションする役が必要になりました。そこで、ハドソン宣伝部でファミコン担当だった私に「高橋、おまえやれよ」と。どうせならちゃんと名称を決めようと、「高橋名人」になったんです。
── 社員から「名人」を出すという発想…おもしろいですね。 高橋名人:いまでこそメーカーの宣伝の方はテレビに出たりしますが、私はその第一号みたいな感じですね。上手にプレイできて、何かしゃべれるならその人がやればいいじゃない、っていう(笑)。 他の企業ならタレントさんにお願いして1か月くらい宣伝してもらうんでしょうけど、ハドソンは予算がなく、社員でやるのが一番だったんです。 ── 「高橋名人」になれ、と言われてどう思いましたか?
高橋名人:最初は会社の命令なので「しぶしぶ」でしたが、やりだしたらすごく楽しくて。同時に、「子どもに負けられない」「失敗できない」緊張感もつねにありました。でも、私は本番に強いので、子どもに負けたことは一度もありません。
■「スターソルジャー」の大会は3000人が殺到して… ── たしかに、名人は楽しんでいるように見えました。名人として、全国をまわってゲームのデモンストレーションをされたんですね。 高橋名人:夏休みの間に全国のスーパー60店舗をまわりました。私ひとりだと回りきれないので、もう一人の大学生アルバイトの「毛利名人」と手分けしました。