Jリーグにビッグクラブは必要か
一方で、歪なビッグクラブへの反対論もある。 初代チェアマンの川淵三郎氏は1993年5月15日の開会宣言の中で、あえて「サッカー」という言葉を使わなかった。サッカーが出発点となり、老若男女の誰もが様々なスポーツを楽しめる環境を日本中につくりたいという願いを込めて、あえて「スポーツを愛する多くのファンの皆様」という言葉を用いた。 チーム名称から企業名を削ったのも、地域密着を謳い、母体企業の業績に理念の実践が左右されることを避けたかったからだ。もっとも、Jリーグ元年に名前を連ねた10チームの反発は少なくなく、中でもプロ野球の成功体験をサッカーにあてはめようとしたヴェルディ川崎の親会社である読売新聞社のスタンスとは両極端の位置にあった。 1993年秋には企業主導を掲げる読売新聞社の渡邉恒雄氏と川淵チェアマンとの対立が大きくクローズアップされた。カズやラモスを筆頭に6人もの日本代表を擁し、創成期のJリーグを力強く牽引したヴェルディ川崎をサッカー界における読売巨人軍たらんとした渡邊氏に対し、最終的には地域密着の理念を貫く川淵氏に軍配が上がる形となった。 サッカー界に読売巨人軍は必要ない。この時の川淵氏の考えには賛同できる。 私の意見はこうだ。ビッグクラブは必要だし、誕生して欲しいが、ただし絶対無二の条件が付く。企業色をプンプンまき散らしたビッグクラブはもちろん不要であり、1998年の読売新聞社の経営撤退後に長期低迷を余儀なくされ、今年もJ2で戦っている東京ヴェルディの軌跡を見れば、地域に生かされることはJクラブの生命線となる。 だからこそ、地域密着を実践した上で、見ていて憎たらしくなるほどの強さを身にまとい、アンチファンも数多く擁するチームこそがこれからのJリーグに必要不可欠になると思う。 現状を見渡せば、観客動員で安定した収入が見込めるレッズが最短距離にいるのだろうか。J1及びACLのタイトル奪回という定義のひとつをクリアできれば、アジアや世界に誇れる理想的なビッグクラブとなりえるかもしれない。 大東チェアマンはこんな構想も明かした。 「いろいろな意味で頑張っているチームにはそれなりのアドバンテージを与えるとか。そういうことは必要かなと。それは金銭的なことなのか、これから考えることはあるとは思いますけど」 仮に資金面でのアドバンテージが施されることになれば、かつてのジーコやドゥンガのように、チームに戦力だけでなく哲学を伝授するビッグネームの獲得をアシストするかもしれない。 身の丈経営が標榜された中、途絶えて久しいビッグネームがヨーロッパや南米から来日すれば観客動員増につながるだろうし、創成期のようにJリーグのステータスが上がれば海外でプレーする日本人選手が全盛期のうちにUターンしてくるきっかけにもなる。 次の10年へ、人間でいう不惑を迎える20年へ。Jリーグならではの理想と美学を貫きながら、どのような創意工夫ができるか。Jリーグおよびクラブの挑戦は新たなステージに突入する。 (文責・藤江直人/論スポ)