【宮崎祐樹連載#14】プロ1年目の沖縄キャンプで完全に自分の方向性を見失ってしまった
【宮崎祐樹連載#14】亜細亜大学時代には捕手として野球部に入部するも、4年間通して「控え」。ここで野球人生にピリオドを打ち、地元に帰り教員になることを考えました。それでも大学の生田監督のおかげで社会人野球のセガサミーに進むことができました。 捕手から外野手に転向し、社会人野球では春からレギュラーで使っていただきました。元南海、ダイエー、西武のスラッガー・佐々木誠監督の厳しい指導を受け、実戦での打撃成績も伴い、2010年ドラフト3位でオリックスに入団することができました。 社会人野球に携わった2年間で一気に人生が変わりました。佐々木監督からも「プロでもやれる」と送り出してもらい、希望を持ってバファローズの一員になりました。 でも僕は1年目の11年、沖縄・宮古島キャンプで完全に方向性を見失ってしまいました。このシーズンは岡田彰布監督がオリックスの指揮を執って2年目のシーズンです。ヘッドコーチに高代延博さん、打撃コーチには正田耕三さんという岡田監督から信頼を受けたコーチが在籍していました。 こう言ってしまっては言い訳になるのですが、この2人のベテランコーチの指導に僕が自分の方向性を合わせられませんでした。 プロ入り当時の僕の打撃フォームはかなり独特でした。社会人時代の恩師・佐々木誠さんに直伝された、足を思い切り大きく上げるスタイルで、結果を残しプロへの道を切り開いてきました。いわゆる「フラミンゴ打法」です。元祖は王貞治さんであり、佐々木誠さん、大豊泰昭さんらも挑戦したタイミングの取りづらい打法です。 僕はもともと、打席で投手とのタイミングを取ることが苦手だったこともあり、佐々木監督も考えがあった上で足を上げるフォームを伝授してくれました。大きく足を上げ、腕も動かしてヒッチしてコックも入れる。打撃の基本とは違うと考える先人たちも多いかもしれませんが、これが当時の僕には合っていました。 担当の牧田スカウトからも「プロに入っても足を上げて打ってね。今の打ち方を変えなくていいから。コーチ陣にもその方針は伝えてあるし、そのままやらせてくださいと言ってあるから」と言われていました。 キャンプは一軍組でスタートしました。でも、初日から僕はつまずきます。正田打撃コーチからは「お前! そんなフラミンゴみたいに足上げて、そんなんで打てると思うとんのか。打てるわけないやんけ。プロをなめとったらアカンぞ」とフォームの修正を命じられました。 当時の自分の立場では意見はできませんでした。もともとのスタイルで打たせてくださいとは。スカウトの方からアマチュア時代の自分のいい部分を評価してもらい、プロに導いてもらった。そのいい部分の一つが足を大きく上げて打つフォームにもつながっている。プロでもフォームを変えなくていいと言われているので、最初はこれで打たせてください。落ち着いて、そう話せれば良かったのかもしれません。 ただ、当時の僕は「ああ、プロ初日から打撃フォームを変えなきゃいけないのか」という気持ちになってしまいました。そして、その数日後にはさらに悪いことが続いてしまいます。
宮崎祐樹