卓球・日学連新会長はプロ経営者 菱洋エレクトロ社長 中村守孝氏インタビュー【前編】
きっかけはメキシコオリンピック
――そこまでスポーツを好きになるきっかけって何かあったんですか。 中村守孝社長:いま思えば、1968年のメキシコオリンピックですね。当時私が9歳。ちょうどオリンピックが始まったときにひどい風邪を引いて小学校を休んだんですよ、10日間くらい。 その間、ふとんの中でずっとテレビで見て、その世界にものすごく興奮して心惹かれましてね。 ――風邪を引いたおかげで(笑)。 中村守孝社長:ええ(笑)。日本も金メダルを11個獲ったのかな、重量上げの三宅義信さんとか、レスリングの上武洋次郎さんとか。 もうお亡くなりになりましたが、女子体操にはまだチャスラフスカさん(チェコスロバキア)がいたり、その後も長らく破られることのなかった陸上走り幅跳びの世界記録8m90cmが出たり。初めて人類が陸上100mで10秒を切ったのも、そのときですね。 それぞれのあまりの素晴らしさに心を打たれて、気付いてみたら全部丸暗記しちゃったんですよ。 表彰式で、黒い手袋で人種差別に抗議する有名なシーンもありました。 中村守孝社長:まだプロ化も商業化の波も来ていない、とてもスポーツらしい時代の世界のアスリートに小学校の多感な時期に魅了された、それが原体験だと思いますね。
男の眼が光る
論理と美意識が交互に顔を出す、自信に満ちた語り口である。日本学生卓球連盟の会長に就任したこの人にとって、卓球部時代の経験も経営者としての礎の一助となっているのなら、ぜひ聞いてみたい。 “これから社会に出る卓球部の学生や若手社会人にもアドバイスを”と持ちかけたとき、不意に中村社長の眼がギラリと光った気がした。 「卓球で得た何かを社会に活かす?難しい質問ですね。」 更に、男の舌鋒は鋭くなったのだった。
槌谷昭人(ラリーズ編集長)