「祭祀王」とも呼ばれた”卑弥呼”はどんな祭祀を行っていたのか!?【日本古代史ミステリー】
シャーマンとして古代日本のトップに立った卑弥呼。その能力は祭祀のときに、とくに発揮されたと考えられている。その祭祀の内容にここでは迫る。 ■「鬼道」をおこない人びとを導く存在 邪馬台国は30あまりの連合体で、男王が統治にあたっていたと思われるが、2世紀後半の倭国大乱を経て女性である卑弥呼(ひみこ)を立ててようやくおさまった。つまり、男性では国々の争いが止まず、女性の登場となったわけである。 この点を重視するならば、卑弥呼は女性ならではの統治能力があったと思われる。それでは、卑弥呼が備えていたと考えられる特殊な力は何であったかというと、『魏志』倭人伝は、「鬼道(きどう)」と表現しており、さらに、「能(よ)く衆を惑わす」と記している。これによると、卑弥呼は鬼道をおこない、このことによって人びとを思いのままに導いていたということになろうか。 それでは、鬼道とは一体、何であろうか、ということになるが、呪術、まじないであり、卑弥呼はそれに長けたシャーマン、すなわち巫女であったと思われるが、鬼道の実体についてはいろいろなことがいわれていてよくわからないというのが実状である。原始的な呪術とか三輪山信仰に基づく呪術であるとかといわれるが、かたや祖先に対する祭祀(さいし)であるともいわれる。また、動物の骨を焼いて、そのひびの入り方によって吉凶(きっきょう)を占う骨卜(こつぼく)の系統とする説もある。古墳時代の日本列島において鹿の骨を焼く太占(ふとまに)や亀の甲羅を用いた亀卜(きぼく)などと同類といえよう。 鬼道に関しては、道教(どうきょう)的な呪術ということもいわれている。道教は中国で始まった民間宗教であり、不老長命・現世利益などを得ることができるといった特徴をもっている。道教では、桃の実は不老不死をもたらすものとされており、たとえば、纏向遺跡から大量の桃の種が出土していることもこうした祭祀と関係があるのかもしれない。 卑弥呼について『魏志』倭人伝は、普段は人前に現われることはほとんどなく、千人もの婢(はしため/召使いの女性)にかしずかれて生活していると記している。また、卑弥呼の宮殿は、部屋の他に高殿(たかどの)や城柵などからなっていて、兵士が守っているとある。 ここからわかるように、卑弥呼は大きな宮殿のなかでひとりで暮らしており、人びととは接することがなかった。つまり、卑弥呼は聖なる巫女であり、俗とのまじわりは持たない存在であることがわかる。ただ男子ひとりのみが宮殿に出入りして、飲食を運んだり、言葉の伝達にあたったというのである。 さらに、『魏志』倭人伝をみると、「夫壻(ふせい)無く、男弟有りて佐(たす)けて国を治む」と記されている。このことから、卑弥呼には夫がいないことがわかり、卑弥呼はまさに男子禁制の宮殿で多くの婢と共に日々をすごし、ひたすら祭祀にあたっていたことが推測される。 したがって、卑弥呼とのパイプ役は彼女の弟のみであり、その他の人びとは卑弥呼と接することはほとんどなかったと判断される。このことから、邪馬台国連合の統治形態としては、卑弥呼が聖的宗教王として君臨し、彼女の言葉を受けて弟が政治王としてものごとを決定し運営していたと思われる。卑弥呼は常人とはまったく異なった存在であり、それは鬼道という特殊な能力にたけていたことによるのである。卑弥呼のあと一族の女性である壱与(いよ/台与/とよ/とする説もある)が立てられたことからもそれがうかがわれる。 監修・文/瀧音能之 歴史人2023年10月号『「古代史」研究最前線!』より
歴史人編集部