県岐阜商・鍛治舎監督 160ページ冊子で選手鼓舞 選抜高校野球
新型コロナウイルスの感染拡大で春、夏ともに甲子園大会が中止になった2020年。「甲子園の救済策、代替案は甲子園しかない」というフレーズが繰り返し登場する冊子がある。著したのは県岐阜商を率いる鍛治舎巧監督(69)。「閉ざされた甲子園の先に」と題した冊子を作製して選手に配布し、コロナ禍で沈みがちな選手たちを鼓舞してきた。 県岐阜商は、第93回選抜高校野球大会第4日(23日)の第1試合、市和歌山と対戦する。 鍛治舎監督が冊子の執筆を始めたのは20年3月中旬。新型コロナの影響で部活動が休止になっていた時だ。母校の監督として就任した18年3月の直前から、甲子園交流試合の開催が決定した20年6月10日までの出来事や思いをA5判約160ページの冊子に込めた。練習や試合の内容、反省はもちろん、合宿の食事中なども含めて「あの時」何を考えたのかを記した。 鍛治舎監督は「監督の思いを伝えたかった。コミュニケーションの一環」と、執筆の目的を説明する。試合や練習で怒鳴り声を響かせることもある鍛治舎監督だが、冊子には「何故(なぜ)そこまで素直に、誠実に生きられるのか…誇れる後輩に頭が下がる」など、選手を褒める記述が少なくない。エース左腕・野崎慎裕(3年)は「驚くことが多かった。練習や試合の中で、監督の思っていることを自分なりに考えることは成長につながると思う」と感想を語る。 鍛治舎監督は県岐阜商の投手で、第41回大会(1969年)8強。早大を経て松下電器(現パナソニック)で活躍し、監督も務めた。2014~17年に指揮した秀岳館(熊本)は3季連続で甲子園4強に導き、18年には監督として母校に戻ってきた。 ところが48年ぶりに帰ってきた母校は、すっかり変わってしまっていた。練習に刺激を感じていない選手がおり、他部の生徒や卒業生たちは野球部に対して冷淡だった。「(自身が選手だった)50年前と変わってしまった」「良き伝統はなくなり、記録だけが残った」と振り返る。春夏を合わせた甲子園で公立校最多の87勝を誇るが、春3回、夏1回の優勝はいずれも戦前で、古豪と呼ばれるようになって久しい。大阪桐蔭からドラフト1位で19年に中日入りした根尾昂(20)をはじめ、地元出身の有力中学生は、こぞって県外の強豪校を目指すようになっていた。 「今のままでは次の100年で甲子園の表舞台からは消え去る」と確信した鍛治舎監督は、野球部の改革に乗り出した。創部100年となる24年の「甲子園通算100勝」を目標に掲げ、次の100年でも100勝できるチームの土台を作ることも目指した。8時間を使えた秀岳館と違い、県岐阜商の練習は最大4時間。グラウンドの設備配置を見直し、3カ所で行っていたティー打撃を5カ所にするなど、練習の効率化も図った。100年近い歴史のある白と濃紺のシンプルなユニホームも、青と山吹色を使った明るいデザインに一新した。一部から反対の声も上がったが、「伝統の重圧を振り払い、新たな伝統を」という鍛治舎監督の決意の表れだった。 就任3年目の20年春。数々の改革が実り、チームとしては5年ぶり、鍛治舎監督にとっては母校の監督として初の甲子園切符をつかんだ。しかし、新型コロナの影響で大会は幻となり、さらに夏の甲子園も中止。優勝を狙っていた岐阜県独自大会も、校内で集団感染が発生したため辞退した。そんな中で発案したのが、冊子の作製だった。 主将の高木翔斗(3年)は「去年、目の前で先輩たちは涙を流した。代わりに、とはならないかもしれないけど、僕たちが優勝して今年は笑ってもらう」。自身の言葉をこう解釈した頼もしい後輩とともに、頂点を見据える。【森野俊】 ◇全31試合を動画中継 公式サイト「センバツLIVE!」では、大会期間中、全31試合を中継します(https://mainichi.jp/koshien/senbatsu/2021)。また、「スポーツナビ」(https://baseball.yahoo.co.jp/senbatsu/)でも展開します。