森永卓郎 闘病から復活したら「東京ドームで歌いたい!」
黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「黒木瞳のあさナビ」(2月2日放送)に経済アナリストの森永卓郎が出演。自らのがん治療について語った。
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「黒木瞳のあさナビ」。1月29日(月)~2月2日(金)のゲストは経済アナリストの森永卓郎。5日目は、今後について― 黒木)これから病気の治療も続けていくのだと思いますが、今後は嫌なことをやめて、楽しいことだけをやろうと思っていらっしゃるのですって? 森永)そうですね。がんを宣告されると、多くの人が仕事を全部やめて、「いままで行けなかった旅行に行こう」「温泉に行こう」「静かな余生を過ごそう」と考えるのだと聞いています。でも私はそんなこと、まったく思いませんでした。私の頭にあったのは「死ぬまで戦うぞ」と。「戦いながら死んでやる」ということです。 黒木)財務省の真実を暴く本を出すとか。 森永)そのあとも、いろいろとやらなければいけないことはあるのですが。 黒木)森永さんのなかでは、「この日本国がどうなっているか」という真実を知ってもらいたい思いがあるから……。 森永)「みんなで戦おうぜ」と。やはり遺伝の部分もあるのかなと最近思います。父が新聞記者だったのですよ。外信部で7~8割を過ごしたのかな。頑固親父でした。新聞の日曜版で世界各地の風景が出て、その風景の前で現地の子たちが遊んでいるという画づくりは、うちの親父が日本で初めてやったのですよ。 黒木)そうなのですね。 森永)家族はいい迷惑でね。スイスのジュネーブにいたときは、首都ベルンの教会前の広場で三脚を立て、(子どもの写真を撮るために)朝からずーっと待っているのです。でも、相手は子どもたちなので、いいところに来るとは限りません。朝から夕方までカメラを構え、日が落ちたら「帰るぞ」と言われて、「撮れた?」と聞いたら、「きょうはいいシーンがなかったね」と。でも翌週また行くなど、絶対に信念を曲げない親父でした。その遺伝子を受け継いでしまった気はします。 黒木)正義に立ち向かうところなど。 森永)大儲けはできなくても、自分の思うように自由に生きた方が、この世に生まれた意味があるのかなという気はしています。