「100万羽」以上の集団で夕方の空を舞い、ほぼ完璧な調和を保ったまま飛び続ける…中世のヴァイキングから“黒い太陽”と呼ばれた「すごい鳥」とは?
生き物たちは、驚くほど人間に似ている。ネズミは水に濡れた仲間を助けるために出かけるし、アリは女王のためには自爆をいとわないし、ゾウは亡くなった家族の死を悼む。あまりよくない面でいえば、バッタは危機的な飢餓状況になると仲間に襲いかかる…といったように、どこか私たちの姿をみているようだ。 ウォール・ストリート・ジャーナル、ガーディアン、サンデータイムズ、各紙で絶賛されているのが『動物のひみつ』(アシュリー・ウォード著、夏目大訳)だ。シドニー大学の「動物行動学」の教授でアフリカから南極まで世界中を旅する著者が、動物たちのさまざまな生態とその背景にある「社会性」に迫りながら、彼らの知られざる行動、自然の偉大な驚異の数々を紹介する。「オキアミからチンパンジーまで動物たちの多彩で不思議な社会から人間社会の本質を照射する。はっとする発見が随所にある」山極壽一氏(霊長類学者・人類学者)、「アリ、ミツバチ、ゴキブリ(!)から鳥、哺乳類まで、生き物の社会性が活き活きと語られてめちゃくちゃ面白い。……が、人間社会も同じだと気づいてちょっと怖くなる」橘玲氏(作家)と絶賛されている。本稿では、その内容の一部を特別に掲載する。 ● 驚きの光景 もう随分昔、まだ動物を科学的に研究して生計を立てられるなどとは考えていない頃の話だ。その頃の私は、イングランド北部のブラッドフォードという街で退屈な仕事をしていた。ただ電車に乗って職場と自宅を往復するだけの日々。しかし、十一月のある日の夕方、当たり前の帰宅の途中に突如、驚くべきことが起きた。私はまだその時の光景をありありと思い出すことができる。 夕暮れ時、オフィスを出た私は駅に向かった。寒い日で、他の多くの人たちと同じく、コートにマフラーという服装で、身を縮めて歩いていた。歩道も建物も湿っていて、空気は冬の気配を感じさせた。人間の他に動物といえば、犬が何匹かと鳩が何羽かいるくらいだった。時々、小さな声を出しながら、誰かが手に持ったケバブをうっかり地面に落とすのを待ち構えているようだった。 だが、フォースター・スクエアまで来た時、何やら上から大きな音が聞こえ、近くにいた人たちが一斉に空を見上げた。頭上にいたのは、ムクドリの大群だった。ムクドリたちの演じる空中バレエである。群れは次々に隊形を変えていく。まさに壮観だった。見ていて圧倒され、畏れすら感じる。ムクドリはまるで誰かに振り付けでもされたかのように、整然と動く。 そして円を描くように並んだかと思うと、一斉に降下したり、上昇したりもする。群れ全体が何かのエネルギーによって振動しているかのようだ。鳥たちの互いに呼び交わす声で、車の音もかき消された。数分の間、地上にいる私たちは、ムクドリの群れによる自然界で最も素晴らしい集団ショーを見る特権を与えられていた。 しばらくすると、ムクドリたちはねぐらへと向かっていく。一握りのリーダーたちがショーの最後のその動きを先導するのだ。リーダーたちが急降下を始めれば、それが終わりの合図となる。個々のムクドリたちは、皆、自分の近くにいる者たちからその合図を受け取る。動きは群れ全体へとすぐに広がっていく。群れはほぼ完璧な調和を保ったまま、その場を去って行くのである。 ● 黒い太陽 私がブラッドフォードの空で見たムクドリのショーは、一年のうちでも寒い時期、十月から三月にかけて、様々な場所で上演される。場所によっては、ムクドリの数は極端に多くなり、何百万羽という単位になることもある。 デーン人(ヴァイキングとしてブリテン島に侵攻した北方系ゲルマン民族の一派)は、この群れを「黒い太陽(sort sol)」と呼んだ。ムクドリは夕暮れ時になると集まってきて、夜、ねぐらに向かう前の約三十分間、共同でパフォーマンスを見せる。このような群れは、離れている鳥たちが一箇所に集まって来なければ作れない。そして、集まって来た鳥たちは互いに動きを合わせているわけだ。多くの鳥が集まっていれば、おそらく寒い時期には眠る時に互いに温め合うこともできるのだろう。 ただ、動物がこのような大きな群れを作って行動する理由は主に、捕食者に対抗することである。ムクドリは一羽や小さな群れでは弱く、ハイタカやチュウヒなどの猛禽類にまったく抵抗できないが、大集団になると強くなる。手強い敵がいるほど、ムクドリの群れは大きくなり、しかも長く維持される傾向にある。群れがショーをするのは、捕食者を混乱させるのに役立つ。多数が一斉に高速で旋回したりすれば、捕食者は一羽に狙いを絞るのが難しくなる。 捕食者を混乱させるには、群れに属する個体が協調して行動する必要がある。しかし、何百、何千、あるいはそれ以上にもなる多数の鳥がいて、群れに属する個体はいったいどうやって、全体の動きを察知できるのだろうか。答えは「そんなことはできない」である。 ● 注意を向けるのはたった七羽 実は、どの個体も、自分のそばのだいたい七羽ほどの個体の動きに反応しているだけだと今はわかっている。鳥に限らず、どの動物も、協調して動く時には、近くにいる仲間の動きにだけ注意を向ける。私たち人間も、歩く時や、車を運転する時には同じようなことをする。 ムクドリにとって重要なのは、仲間どうし空中で衝突するのを防ぐことだ。衝突すれば大惨事だ。衝突を防ぐには、すぐそばにいる仲間たちとうまく動きを合わせなくてはならない。だが、なぜ七羽なのだろうか。生き物の世界ではそういうことが多いが、これもやはり「トレードオフ」なのだ。一度に注意を向ける仲間の数が多いほど、当然、協調行動はうまくできる。急な方向転換などにもすぐに対応できるだろう。 だが一方で、注意を向けなくてはならない仲間の数が増えると、その動きを追うのは容易ではなくなってくる。結局、六羽か七羽くらいの仲間だけに合わせるのがちょうど良いということになるのだろう。そのくらいの数ならば、さほどコストを上げることなく、ある程度、動きの変化に素早く対応できる。 個々のムクドリは近くにいるわずかな仲間のことだけを見ているのだが、それでも群れは全体で速度や進む方向を瞬時に変えることができる。驚くべき技だが、それについて説明するには、「臨界」という概念に触れる必要がある。 ● 生き延びるために… 臨界は「ティッピング・ポイント」とも呼ばれ、あるシステムの状態が遷移する瀬戸際の点のことを言う。山に雪が積もると、しばらくは安定した状態になり、美しい風景ができあがるが、突然、その安定が崩れて恐ろしい大雪崩が起きることがある。地球の構造プレートは互いに押し合っているのだが、普段は何ごともなく静かに見える。しかし、エネルギーが次第に蓄積され、臨界点に達すると、突如として大きな地震が起きるのだ。 臨界は元来、物理学の概念だが、ムクドリの群れの行動を説明するのにも役立つ。ムクドリの群れは常に捕食者の襲撃に備え、警戒態勢にある。絶えず、何かあったらすぐにでも飛行経路を変えられる臨界にいると言っていいだろう。群れの中の一羽が急に進路を変えれば、群れ全体がそれに合わせて進路を変えることになる。つまり、すべての個体が群れの中の他のすべての個体に影響を与え得る。個体の飛ぶ進路、速度、高度の変化があれば、その情報が瞬時に群れ全体に伝わる。驚くべきなのは、群れを構成する鳥の数がどれほど増えてもそれは同じということだ。どれほど規模が大きくなっても、群れ全体が協調する能力は維持される。 それだけ、ムクドリにとって捕食者を攪乱するのが重要ということだろう。私も含め、あの寒い夕方にブラッドフォードでムクドリのショーを見た人たちの多くは、それを動物の見せてくれる素晴らしい芸術のように思っていたかもしれないが、当のムクドリたちにとっては、芸術どころではなく、まさに生死に関わる行動だったのである。 (本原稿は、アシュリー・ウォード著『動物のひみつ』〈夏目大訳〉を編集、抜粋したものです)
アシュリー・ウォード/夏目大