ハイチ代表として凱旋帰国のエリボーが母国でハリルJ秘密兵器をアピール
後ろに束ねられた長い髪が、ピッチを走るたびに大きくなびく。186センチの長身、リーチのある手足との相乗効果もあって、10日の国際親善試合(日産スタジアム)で日本代表と対戦するハイチ代表のなかでも、日系人のザカリー・エリボー(21)はひときわ異彩を放ち続けた。 「ボランチなのでいいパスを通さなきゃいけないし、タックルで相手を潰さなきゃいけない。試合に出られるように、練習からめちゃ頑張っています」 8日夕方に横浜市内で行われた来日後の初練習を終えると、関西弁のイントネーションがまじった日本語で、人懐こい笑顔を浮かべながらメディアに対応する。ピッチの内外における、大いなるギャップも魅力のひとつと言っていい。 ボストンの大学で知り合った、ハイチ人の父・ペドロさんと日本人の母・美樹さんの次男として、エリボーは1996年2月1日に美樹さんの実家がある大阪・吹田市で産声をあげた。 一家でボストンへ戻ったのは3歳のとき。元セミプロ選手で、練習生としてガンバ大阪の練習に参加した経験をもつペドロさんの指導で上達したエリボーは、14歳でMLS(メジャーリーグサッカー)のニューイングランド・レボリューションの下部組織に合格する。 イギリスのサッカー雑誌『FourFourTwo』の特集で、「世界が注目する17歳以下のトップ5」の一人に選ばれたのが2011年6月。その後も順調に成長し、2年前にはトップチームへの昇格を勝ち取ったホープは、ハイチだけでなくアメリカと日本の国籍を有する。 ハイチ代表への招集は、今回が初めてではない。カリブ海覇者を決めるカリビアンカップへ向けた昨秋の代表合宿に呼ばれたものの、熟慮した末に断りを入れている。 「日本やアメリカのこともあるから。急いで選ぶのは嫌だったので、ゆっくり考えたくて」 この時点でザクリーはアメリカとハイチで、年代別の代表でプレーした経験をもっていた。FIFA(国際サッカー連盟)の規約では、多重国籍をもつ選手は年代別代表であれば、代表チームを変えることができる。 これが一度でもA代表の公式戦のピッチに立つと、原則としてその後の変更は許されない。翻って国際親善試合の場合は、一度だけその後の変更が可能となる。カリビアンカップはCFU(カリブ海サッカー連合)が主催する公式戦だった。 つまり、エリボーは自身が育ったアメリカか、母の母国である日本の代表としてプレーしたいと将来的に望んでいる。代理人を通じて今回が国際親善試合であることをFIFAに確認したうえで、日本戦に臨む19人の来日メンバーに名前を連ねる決断をくだした。 高校生のときに夏休みを利用して、大阪桐蔭高校の練習にも参加した経験をもつエリボーは、特に日本代表へ憧憬の思いを抱いてきたと笑う。