フリーアナウンサー・神田愛花『大人になってからの友達作り、難航中』
皆さんは社会人になって、本当の意味で『友達』と呼べる人が何人できただろうか? ちなみに私は21年間で一人だけだ。友達の定義には個人差があるが、私の場合は″何でも話せる人″。両親や夫にさえ話したくない秘密も、墓場まで持っていってくれるという信頼のもと話すことができる存在だ。だから日頃から連絡を取り合い、何回か食事をしたくらいでは、友達とは思っていない。 【画像】個性あふれる神田愛花さんの直筆イラスト(1回~58回)はこちら なぜそんな慎重でけったいな人間になってしまったのか、自分が嫌になる時もある。LINEを交換しただけで「友達」と呼び合えている人たちを見て(軽い人たち……)と嫌悪感を覚える一方、楽しそうですごく羨ましい。私だって本当はそうなりたかった。なのになれなかったのは……もう傷付きたくないからだ。 利害関係なく本音を言いたい放題だった学生時代。長所も短所も理解し合えた、あの頃の仲間とは今も強く繋がっている。だからこそNHKに入局しても、(仕事を超えて友達になりたい!)と思う特別な同僚には、愚痴や仕事の悩みなど、すべて話していた。すると相手も色々話してくれるようになり、お茶をしたり、お揃いの服を買ったりするほどに。友達だと信じて疑わなかった時、その同僚の結婚相手に不倫が発覚した。4~5人の別の同僚は本人から聞いたそうだが、私には″噂″として耳に入った。お互い辛い時に頼り頼られる仲だと思っていたのにショックで、「人は本心とは違う顔ができる生き物だ」と思うようになった。 そしてNHKを辞める時。NHKではどんな事情であれ、退局者は「受信料で培ったアナウンス技術を外に持ち出す裏切り者」と思われがちだ。実際に私も先輩からこの通りの言葉をかけられた。そして辞めることが公になってから退局するまでの2ヵ月間、上司の前で裏切り者の私に話しかけてくれる人は、ごく僅かになった。意外なことに最後まで話しかけてくれたのは、普段ほとんど話す機会がなかった先輩方。「頑張れよ!」とか「君の仕事の仕方を尊敬していた」とか、中には「君のような人材を受け止めきれなかったNHKを情けなく思う」と、勇気づけてくださった方もいた。 反対に、頻繁に接していた同僚たちは私を視界に入れようともしなかった。(私との個人的な関係よりも上司の目のほうが大事だったんだ……)とやるせなくなっていた時、一人だけこっそり話しかけてくれた。嬉しくて誘導されるがまま人気(ひとけ)のない所へ。すると「○○プロデューサーが、″神田なんて辞めたって仕事ないのに″って言ってたよ」とだけ、言い放ったのだ。驚いてしまい、「そうか……でも頑張るよ」としか返せなかった。 ◆うわべだけの関係にはうんざり 苦楽を共にした仲間だと思っていたのに。なぜわざわざ落ち込むようなことを伝えてきたのだろう。この瞬間から、その同僚との楽しかった時間がくだらなかった時間に感じ、「もう自分の人生の時間を無駄にしない!」と強く思った。 そしてフリーになり(変わるチャンスだ!)と奮起。ゆっくり話してみたいと思ったタレントさんとご飯に行く努力をしてみた。だが驚くことに、二人きりになるとそれまでのイメージから一転。思った以上に人の悪口を言う人が多かったのだ。中には、私と二人の時に散々悪口を言っていた相手を、テレビでは「友達で時々遊んでいます」と笑顔で話す人も。友達の定義がこんなにも違うのか……と疲れてしまった。友達を作ることは前向きで楽しいことのはずなのに、なぜ何度も悲しい思いをしなければならないのだろう。(もう嫌だ!)と、今に至る。 どれも私から見た出来事であり、相手から見ると私が原因でそうなった出来事なのかもしれない。頭では客観的になれるが、やはり心に深く刻まれた傷が勝ってしまう。 このままだと、残りの人生であと何人友達ができるのか。平均寿命で計算すると、8つ歳上の夫が他界した後、13年間は独り身だ。子どもがいないから、頼りになるのは友達だけ。ならば一人でも多くいたほうがいい。老後のために、また傷付くのを覚悟で友達作りをするべきか? 老後よりも、今の精神的健康を優先に生きるべきか? いっそのこと、仲の良い母に不老長寿の薬を飲ませられたらいいのに。唯一できた貴重な友達については、いつかご紹介したいと思う。 かんだ・あいか/1980年、神奈川県出身。学習院大学理学部数学科を卒業後、2003年、NHKにアナウンサーとして入局。2012年にNHKを退職し、フリーアナウンサーに。以降、バラエティ番組を中心に活躍し、現在、昼の帯番組『ぽかぽか』(フジテレビ系)にメインMCとしてレギュラー出演中 『FRIDAY』2024年8月9日号より イラスト・文:神田愛花
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