俳優生活40年・妹尾和夫「大阪で眠ってた役者魂が復活」
演劇部部室をもらったり本公演演出を勝ち取るなど、日本大学文理学部哲学科に通っていた妹尾和夫は演劇漬けの生活を送った。そして、学生結婚・離婚も経験し、6年間に及ぶ学生生活を終え大阪に帰ってきた。 <俳優生活40年>妹尾和夫「大学でいっぺん演劇部経験したろ」
大阪へ戻り、実家のパン店手伝いながらDJ養成所へ
妹尾の実家は、父親と母親が大阪市大正区鶴町の商店街でパン店を営んでいた。妹尾は毎朝パン店の仕事を手伝いながら「何か新しいことをやりたい」という思いを持ち続けていた。 そんな時、新聞広告で「DJ養成所」の広告を見つけた。講師は大阪の放送局アナウンサーOBらで、テレビでもその養成所のことを見たことから週1回通った。学生時代に演劇を勉強し、大阪でやるなら「しゃべり」を覚えなければという思いも強かった。
しゃべる仕事へのこだわりで得た事務所への道
養成所の授業では受講者が約20人。授業中に朗読などを行うと、講師から「きみ、どっかでやってたの?」「基礎力はあるじゃないか」と声をかけられたりもした。1年後の卒業時には、学生時代に培った演技力をみて養成所の関連する芸能事務所への誘いを受けた。 しかし、妹尾は「しゃべること」にこだわっていたため、そうした仕事を請け負っていないその事務所の話は断った。 だが、そのやりとりを知った関係者が「しゃべりの仕事もしたいのなら」と、まだ起業したばかりの芸能事務所「MC企画」を紹介してくれた。 妹尾はここでも、さらに1年レッスンを受けた。クラスメイトには、2018年現在もラジオパーソナリティとして活躍する面々もいて、切磋琢磨しながらしゃべりの世界を堪能しながら学び続け、MC企画で新たな人生の一歩を踏み出した。
眠っていた役者魂が復活した大きな出会い
後に、実家を手伝いながら地元のFM局でDJの仕事も得ていた。そしてMC企画の養成所が多くの若手を連れて鳥取県の三朝温泉で研修合宿を行うことになり、妹尾は先輩DJ講師として参加することになった。しかし、そこで意外な出会いの機会が訪れた。 講師の中に、ABC朝日放送で「必殺仕事人」など必殺シリーズのプロデューサーを務めた仲川利久がいた。合宿の参加者に男性が少なかったこともあり、仲川氏がたまたま妹尾に「これまでどんな仕事をしてたの」と話しかけ、妹尾は大学での演劇生活のことを話した。