<球児のために>2020年センバツを前に スポーツマンシップ ヤジに強い違和感
「サード下手くそだから打ってやれ!」。ベンチからヤジが飛ぶ。勝つことでしか評価されず、負けはチームの存続を危うくする。「ここには『スポーツマンシップ』がない」。野球界にどっぷりつかりながら抱いていた違和感の正体が、はっきりした。 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 プロ野球・千葉ロッテマリーンズの元投手、荻野忠寛さん(37)=東京都=は退団後、2015年に古巣の名門・日立製作所(茨城県)に復帰した時のことを鮮明に覚えている。「相手を蹴落として勝ってやろう」という風潮への拒否感は、抑えきれなかった。16年に同社を退社。「スポーツに携わる人の人格を高め、その価値を上げたい」と、高校生や大学生への講演や野球教室などで真のスポーツマンシップの意味を伝えてきた。 桜美林高(東京)で甲子園出場経験はないが、神奈川大では明治神宮大会準優勝の原動力となった。日立製作所でも活躍し、ドラフト4位で07年にプロ入りし、中継ぎや抑えとして起用された。15年に日立製作所に戻り、若手をサポートする中で視野が広がり、目が覚めた。 原点は幼少期にあった。スポーツ経験のない両親のもとで育った荻野さん。野球を始めた小学生のころ、トイレに入ると「スポーツマンの得る報酬は、努力から生まれる喜びと充実している存在の感情である」などとスポーツマンシップの趣旨を書いた紙が常に目に入った。張ったのは父だった。小さいころからたたき込まれたスポーツの本質だった。 今年のセンバツから導入される球数制限(1週間で500球)を「指導者に与えられたラストチャンス」とし、「勝つためではなく、体を守るために多くの投手を用意すること」を提言する。「監督はプロ(扱い)で、勝たなければ首になる。学校にも問題がある」とも指摘する。そして、スポーツの根本は「結果ではなく勝利を目指して努力する過程が意味を持ち、勝っても負けても評価されるもの」と強調する。 自らが取り組む課題の根深さにひるむこともある。それでも「みんなで少しずつやるしかない。スポーツマンシップが浸透しない限り、問題がどんどん出てくるだけ」。野球が真に愛されるスポーツとなるため、活動の輪を広げたい一心だ。【荻野公一、写真も】=随時掲載