「1機撃墜500ドル」で戦争を請け負った「空の傭兵部隊」のすご腕ボス
太平洋戦争終結後の1945年10月、少将で退役したシェンノートは反共の闘士となる。民間の航空会社を設立し、国共内戦では盟友・蒋介石率いる国民党軍を、インドシナ紛争ではフランス軍を支援した。名うてのパイロットとして名を轟かせ、「フライング・タイガース」を率いて華々しく戦った経歴からすると、軍人としての晩年は必ずしも恵まれていたとはいえないだろう。しかし大木氏はシェンノートについて、以下のような興味深い指摘をしつつ、彼を扱った章を閉じている。 「アメリカ軍の複線的な登用コースによって脚光を浴びながら、しょせんは傍流にとどまったといえる。マーヴェリック(引用者註:「焼き印のない牛」、すなわち異端者の意)の悲哀というべきか。 もっとも、彼が自らを不幸であると考えていたかどうかはわからない。というのは、1958年には、長年の貢献を嘉(よみ)されて空軍名誉中将の階級を与えられており、私生活では中国系米人陳香梅(チェンシャンメイ・英名アン)をめとり、2人の娘に恵まれたからだ。 シェンノートは、1958年7月27日にこの世を去った。死因は肺ガンで、長年ヘビースモーカーであったことに由来すると推定された。彼と2番目の妻の遺体は、アーリントン国立墓地に埋葬されている」(105頁より) 機首には「シャークマウス」と呼ばれるどう猛なサメの口、機体側面には羽の生えた虎のイラスト。アメリカの戦闘機を象徴するアイコンとして、いまだにミリタリーファンの間で人気の高い「フライング・タイガース」。指揮官のシェンノートもまた、そんなイメージを体現する面構えだ。「マーヴェリック」の名が似つかわしい軍人には、士官学校出のエリートには決して持ち得ない味わいがある。 ※本記事は、大木毅『決断の太平洋戦史 「指揮統帥文化」からみた軍人たち』第6章をもとに再構成したものです。
デイリー新潮編集部
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