男子柔道の「五輪メダリスト」はなぜ“柔の道”を離れるのか…あえて「指導者」を目指さない根本的な理由
異色の転身を果たした代表監督も
異色の転身を果たしたのが、シドニー五輪100キロ超級の決勝戦で、“世紀の誤審”と呼ばれる判定に泣いて銀メダルに終わり、12年のロンドン五輪で男子の監督として日本代表を率いた篠原信一(51)だ。 「旭化成を退社後、母校・天理大の監督に就任。さらに、全日本の監督に就任するという“エリートコース”を歩んでいました。ところが、ロンドンで男子史上初の金0個という結果を受けて引責辞任。その後、タレント活動をしていましたが、柔道界での人間関係などに疲弊したのか、徐々に柔道界との距離を置き、現在は長野・安曇野でブルーベリー農園『しのふぁ~む』を経営しています」(先の全柔連関係者) さらに、メダリストではないが、バルセロナ五輪65キロ級代表だった丸山顕志被告(59)は今年2月、五輪出場の経歴を示して信頼させた上で、全国で少なくとも30人以上から仮想通貨の購入費名目で数億円を集め、返金しないなどトラブルになった事件により、詐欺罪で逮捕され、その後、起訴された。 こうした男子メダリストたちに比べると、女子は大半が引退後は指導者として後進の育成にあたるなど、順調な道を歩んでいる。 現役時代、“ヤワラちゃん”と呼ばれ、女子48キロ級でバルセロナから北京までの5大会で金2個、銀2個、銅1個を獲得した谷亮子(48)は、10年3月いっぱいでトヨタ自動車のスポンサー契約(同社所属の従業員選手扱い)が終了。同年7月、参院選に民主党の比例区から立候補。絶大な知名度で民主党公認候補の中で得票数第2位となる35万2594票を獲得し当選した。 その戦いぶりから「野獣」と呼ばれ、ロンドン五輪女子57キロ級で金、16年のリオ五輪で銅を獲得した松本薫(36)は19年に現役引退を表明後、アイスクリーム屋に転身。2児のママとして、タレント活動もこなしている。谷も松本も、パリ五輪では解説者としても引っ張りだこだった。