「…いい顔になる」2005年にAKBブームを予見した超おたくとは。「これからは最大公約数ではなく最小公倍数の時代」と語った秋元康の真意
「最大公約数ではなく最小公倍数の時代になったから」
これにはメディア環境の大きな変化が背景にある。かつてアイドルはテレビがメインステージだった。テレビに出ないとアイドルとして認められない。テレビから姿を消して〝アイドル冬の時代〟となった。 しかし、新たな時代のアイドルブームは、テレビがメインステージではない。ライブ+インターネットだ。AKB48は〈会いに行けるアイドル〉をキャッチフレーズとした。秋葉原の専用劇場で毎日ライブがある。握手会には何万人ものファンが押し寄せた。アイドルに関する情報やファンの声が大量にインターネットで発信される。テレビの影響力は低下した。スマホの普及がそれに追い討ちをかける。もはやテレビを持たない若い世代が現れ、スマホ一つですべて事足りるとした。 テレビのキー局はすべて東京にある。大手芸能プロダクションも同様だ。つまり、かつてアイドルになろうとすれば、東京在住が必須条件―上京するしかなかった。今は違う。地元でライブをやって、地元から発信できる。インターネットの普及によって、全国各地がアイドルの活動できる場になったのだ。 たとえば地方に住む、芸能プロダクションに所属しない1人の少女がいるとしよう。路上でライブをやって、スマホで動画を撮り、YouTubeにアップする。なんと、たった一人でアイドル活動が展開できるのだ。いつでも、どこでも、誰でもアイドルになれる。24時間、世界中に発信できる。これは大変なことだ。アイドルをめぐるメディア環境は、一変してしまった。 2009年春、一時復刊した「朝日ジャーナル」誌上で秋元康氏と対談した。久々に再会した秋元氏にAKB48をプロデュースした真意を訊いたのだ。 「最大公約数ではなく最小公倍数の時代になったから」と氏は答えた。なるほど最大公約数(テレビ)のおニャン子クラブから、最小公倍数(劇場)のAKB48へ―といったわけだろう。 AKB48はどれだけメジャーになっても、秋葉原の地元アイドルなのだ。SKE(栄)、NMB(難波)、HKT(博多)、NGT(新潟)、STU(瀬戸内)と全国各地に支店グループを増殖させ、さらにはJKT(ジャカルタ)、SNH(上海)、TPE(台北)とアジア諸国にも進出している。乃木坂46以下、欅坂(→櫻坂)、日向坂と〝坂道系〟と呼ばれるAKBの公式ライバルグループを次々とデビューさせ、ブレークさせた。 小さな劇場から出発したアイドルの種を、歳月を費やして咲き開かせ、やがて幾何級数的に倍加させる。最小公倍数の時代をみごとに先取りしてみせたのだ。それにしても、その圧倒的な仕事量! 秋元氏のアイドルに懸ける情熱と徹底ぶりはすさまじい。 文/中森明夫 写真/Shutterstock ---------- 中森明夫(なかもり・あきお) 作家/アイドル評論家 三重県生まれ。さまざまなメディアに執筆、出演。「おたく」という語の生みの親。『アイドルにっぽん』『東京トンガリキッズ』『午前32時の能年玲奈』『寂しさの力』『アイドルになりたい!』『青い秋』『TRY48』など著書多数。小説『アナーキー・イン・ザ・JP』が三島由紀夫賞候補となる。 ----------