フィアット唯一の「V8スポーツカー」 米国向けに作られた1950年代の名車 歴史アーカイブ
米国人への感謝の意を表して
「イタリアではオットー・ヴー(Otto Vu)と呼ばれるこのモデルは比較的高価で、需要もかなり限られたタイプだ。しかし、2.0Lの速いクルマを求めるエンスージアストにとっては、これ以上の性能と路上追従性を発揮し、運転する喜びを味わえるクルマを見つけるのは難しいだろう」 【写真】フィアット8Vのエンジンを活用した小型レーシングカー【シアタ208 CSを写真で見る】 (20枚) 1954年7月9日のAUTOCAR誌の試乗記では、同車をこのように結論付けている。 では、誰がこのクルマを開発したのだろうか? フェラーリ? マセラティ? ランチア? アルファ・ロメオ? 実は、フィアットである。1936年から500(初代)を生産しており、この当時は4気筒の1100、1400、1900をファミリーカーとして発売したばかりの、いわば大衆車メーカーであった。 なぜ、このような高性能の高級スポーツカーを発売するに至ったのか? それは、第二次世界大戦に端を発する。欧州が荒廃する中、米国政府はマーシャル・プランを制定し、133億ドル(現在の価値で約26兆円)を拠出して社会と経済の再建を図った。 1947年、フィアットCEOのヴィットリオ・ヴァレッタ氏は、イタリア首相アルチーデ・デ・ガスペリ氏の依頼を受け、米国人好みの新型車を作ることに同意した。これは単なる商品ではなく、感謝の意を示す象徴でもあった。 もちろん、米国人の好みに合わせるためには大型のエンジンが必要だった。はじめに6気筒とする案が出たが、技術責任者のダンテ・ジアコーサ氏は、フィアットのリソースが限られていた当時、設計のしやすさからV型8気筒にこだわった。 しかし、開発が完了する頃には、イタリア経済は戦前の力強さを取り戻しつつあり、政治的な意思も薄れていた。さらに、ピニンファリーナが設計したツーリングサルーンのボディは、あまり好まれなかった。 残されたV8エンジンはどうするのか? フィアットは大規模な事業拡大を計画しており、スポーティなブランドイメージを復活させるためにV8スポーツカーがうってつけとされた。 1952年、自社で設計・生産したクーペボディに、1100のサスペンションやオフロード車のカンパニョーラ向けのドライブユニットなど、既存部品を組み合わせた「8V」が発表された。 当時のAUTOCAR誌は、次のように紹介している。 「エンジンは共通の鋳造でシリンダーバンクを70度に設定している。クランクシャフトは4スローで、反対側のバンクのコネクティングロッドはほぼ並走するが、完全には並ばない。2バンク間の20度のオフセットを考慮し、クランクピンはわずかに傾斜している。シャフトは3つのメインベアリング(インジウムフラッシュ付き銅鉛)で回転し、両端にのみバランスウエイトがある。ねじり振動ダンパーは採用されていないが、問題なく7000rpmを達成している」 それから2年後、冒頭と同じく最高出力115ps(当初は105ps)のモデルに試乗した記者は、「8Vに匹敵するスピードを持つ2.0Lサルーンはほとんどない」と書いている。 0-97km/h加速は12.6秒(1100より20.1秒も速い)、0-160km/h加速は35.0秒だった。 「このようなパフォーマンスを発揮するには、一流のハンドリング性能が必要である。フロントとリアともに独立スプリングにより快適な乗り心地を確保し、これに勝るものはないと思わせる路上追従性を実現している」 「特に方向安定性に優れ、適度なアンダーステアもある」 「ステアリングはドライバーに非常に正確な感覚を与え、軽快で生き生きとしている」 「8Vは現代的な意味でのスポーツカーそのものだ。『運転』してこそ楽しめるクルマである。同時に、そのマナー(快適性や静粛性)の良さによって本当の速さを隠している」 イタリアはもちろんカロッツェリーの名所で、ベルトーネ、ファリーナ、ギア、ピニンファリーナ、ヴィニャーレ、ザガートなど、多くのカロッツェリアが8Vを美しく仕上げた。 一方、ラリーやレースでも個人エントリーの8Vが活躍した。特に有名なのは、エリオ・ザガート氏が1954年にモンツァで開催されたイタリアGPのサポートレースで排気量2.0Lクラスのトップに立ち、その後、1955年にはアヴスで開催されたベルリンGP(スポーツカー部門)でポルシェ356に泥を塗ったことだ。 しかし、こうした「ハロー効果」にもかかわらず、フィアットの経営陣は8Vへの関心を失い、わずか2年、114台のシャシーを生産しただけで廃止してしまう。 余剰のエンジンや部品は、トリノの小規模メーカーであるシアタの競技車両「208」に使用されたが、物語はそこで幕を閉じる。V8エンジンを搭載したフィアットは他になく、「オットー・ヴー」は今日、数百万ドルで取引されている。
クリス・カルマー(執筆) 林汰久也(翻訳)