元毎日新聞オリパラ室長・パリ五輪の「隠れた快挙の裏側」を語る
日本のサッカーの転機は何と言ってもプロのサッカーリーグ、Jリーグの発足です。1993年のことですが、それまでの企業主体ではなく、地域主体でクラブを運営していく形になっており、プロチームを頂点に、ユースやジュニアユースのチームを持ち、小さいときから体系的に高度な練習をする形が出来上がりました。 また多くの選手がヨーロッパや南米などサッカー先進地に渡って活躍するようになり、そういった選手が日本代表を形成するから強くなったのは間違いないのですが、私が指摘したいのはそこではないんです。 ユースや強豪といわれる学校に入れない普通の子供たちが、レベルの高い練習をできる環境になり、サッカーの裾野が想像以上に広がったことが大きな要因になったと考えています。山の頂点は裾野が広ければ広いほど高くなりますので、トップレベルに至らない大半の子供たちがレベルを上げたことが、今のように日本のサッカーが欧州などに迫る高さの山を築いたと私は思うのです。 ■D級ライセンスでも習得する本場のメソッド …などと偉そうに言っていますが、私が持っている指導者の資格はD級ライセンスという、最も手軽なもので、講習さえ受ければ誰でも受かるものです。この上にはC~A級、そしてプロを担当できるS級とありますが、実はこの最下級のD級でさえ、内容は欧州などで普通にやってきた中身の濃いものです。 指導面でも重要なことを教わります。昔は小学生のチームでも失敗をすれば罰として走らせる、とにかく点を取られないようにボールを前に蹴っておく、などということが普通に行われていました。ボールを蹴り始める5歳くらいから小学生の年代はゴールデンエージといって、ボールを扱う技術を身につける年代です。「即座の習得」などというのですが、子供にとってすぐに技術を習得できる宝物のような時間で、体力なんて後からでも付けられるのです。 D級の講習会では、こういったことも教わりますし、技術面でも、なかなか口で説明するのは難しいのですが、ボールを受けるときに攻める方向の視野を確保できるように回り込むようにして止める「グッドボディシェイプ」、ほかにもアイコンタクト、相手と目を合わせて意思疎通を図りながらパスを交換するとか、ヨーロッパのクラブチームが通常してきたようなメニューが入っているんです。