『フジロック'24』電気グルーヴインタビュー【前編】「フェスは、みんなが待ってるものを、ちゃんとやった方がいい」
──DJの方で記憶に残っている年ってあります? 石野 近々だとやっぱり、瀧のこれ(手錠のポーズ)の年、DJで出た時(2019年)……大根(仁)さんが動画を撮ってたりとかもしたんで、あれは印象に残ってるかな。瀧のおかげで。 瀧 うん。 石野 感謝してますよ。 瀧 残念ながら観てないんだよね、それね。 ──あの時は、電気の曲、いっぱいかけてましたよね、普段のDJと違って。 石野 あれ、ほんとは電気で出るはずだったけど、DJだったから。電気目当てで心の準備をしてた人たちもいただろうから、それに対してのレスポンスというか、こっちからの。 ──では、過去の電気の出演年で、重要なやつをいくつか振り返っていただきたいんですが。最初はやっぱり開催一回目の1997年、暴風雨の中の出演で、石野さんが思わず「みなさん、がんばってください!」と叫んだ──。 石野 そうでも言わないと、みんな心が折れるっていうか。自分に対しても言ってる(笑)。 瀧 まだみんな、フェスってどういうものか、わかっていない頃だったからね。軽装の子たちが多い、「夏でしょ?」って感じの。雨具も持ってない、みたいな子たちが会場にいて、女の子とか、ワンピースにヒールで来てたもんね。それで雨降って、極寒のフィールドになって。で、タワーレコードの袋を、みんな頭にかぶって。 石野 防寒具にして。 瀧 黄色と赤の人が会場をウロウロしてんのを控室から見て、「すげえことになってんなあ」と思ったのを憶えてますね。 石野 履いてる人もいたよね。 瀧 長靴代わりにね。で、黒ビニールを着て、頭にタワーレコードの袋を。 石野 タワレコカジ(笑)。あの時は会場も違ったから、そのあとのフジロックとは別っていうかね、印象としては。プレ・フジロック、っていうか。 瀧 とにかく強風、豪雨で、スキー場だったんで下がぬかるんでるし。で、屋根がほぼない。っていう中でライブをやって。 石野 台風が近づいてたんだよね。 瀧 今ほどシャトルバスとかがちゃんとしてなかったんで、帰るにも帰れないっていう。 石野 佐山シャトル。 瀧 タイガーステップ(笑)。っていうので帰れなくて、だからもう、遭難だよね、ほぼ。音楽が鳴っている遭難、っていう感じになっている中で、うちらは初日の後半に近い方だったのかな。で、お客さんたちもヤケクソだから、「ウォーッ!!」みたいになって、モッシュからワーッて湯気が立ち上ってたのを憶えてるかな。そうでもしないと暖は取れないもんね、と思いながら、ステージから見てた感じかな。「富士山」をやったんで、俺、富士山のかぶりものをしたんだけど。その日唯一見れた富士山が俺っていう(笑)。 ──次は、苗場に移ってから初めて電気が出た2000年、日曜のホワイトのトリ。 石野 全然憶えてない。 瀧 ねえ? 石野 24年前の記憶でしょ? ほぼ毎年行ってる。憶えててたまるかっていう(笑)。上書きされちゃうよね、やっぱりね。 瀧 うん。2000年てことは、『VOXXX』のタイミングか。 ──その次は、活動休止明けの2006年。 石野 6年も空くんだね。これは、DVDになってるやつじゃないかな(※2007年10月リリースの『Live at FUJI ROCK FESTIVAL ‘06』)。 瀧 「N.O.」から始まるやつだ。 ──過去の代表曲満載の、ベストアルバムみたいなライブを、電気グルーヴが初めてやった時です。 石野 さっさとやれよっていう話だよね。あ、でも、2006年の休止してた時より前と後では、グループとしても違うしね。 瀧 うん。きみ、たぶんその間もDJやってるだろうから。ずっとDJやってて、「次は電気でライブでグリーンで」って言われて、「ええっ!?」っていうところなんじゃいかな。 石野 でも俺ね、けっこう最近まで、グリーンとホワイトの違いがわかってなくて。 瀧 (笑)。なるほど。 石野 「グリーンですよ!」って、当時のマネージャーとかスタッフが大騒ぎしてて。 瀧 「ごはんですよ」みたいな感じで。 石野 「ごはんですよ」ではない(笑)。「グリーンもホワイトもそんな変わんなくない?」みたいな感じだったのよ。グリーンのありがたみを、あんまりわかってなかった。 瀧 ただ名前が違ってるだけだと。 石野 そうそう。「苗プリから遠い方が、グリーン? ホワイト?」、そんな感じだったから。とにかくレッドマーキー一択だったから。いちばん近いし、屋根もあるし、赤いし(笑)、あと好みのアーティストが出てるっていうね。 ──この時、有名曲をどんどんやるライブにしたのは? 石野 久しぶりだし、フェスは試す場じゃないなっていう、すごくあたりまえのこと。 瀧 フェスは、みんなが待ってるものを、ちゃんとやった方がいい、っていう。 石野 あとこれは、DVDで残ってたから、観ると、当時のステージ衣装や髪型が、すげえ地味だったな、っていう。 瀧 普段着で出てる。普段着でグリーン。 ──今は必ずお揃いの衣装ですもんね。 石野 そういうのもなかったから。 ──2012年に、電気としては初めてレッドマーキーでやった時のことは、憶えてます? 瀧 うん、憶えてる。 石野 この時の「富士山」が、いいんだよね。 瀧 この時のレッドマーキーは、超楽しかった思い出がある。なんか。 ──日曜深夜のトップでしたよね。人が多くて入れなくて、外で聴いた記憶があります。 石野 うーん、出てる方は憶えてないのよ。 瀧 ただ、お客さんがパンパンだったのは憶えてる。 石野 顔が。 瀧 顔が。 石野 塩分摂りすぎで。 瀧 むくんじゃって、ほんとに。やっぱり山は気圧が低いから。 石野 ポテトチップスの袋が膨らむみたいに(笑)。 ──瀧さんは楽しかった憶えがあると。 瀧 楽しかったし、なんか、なんだろうね、会心のライブっていうか。 石野 俺もこの時楽しかった。憶えてんのは「富士山」だけだけど。 瀧 ちょっと自由度もあって、お客さんのガッていう熱も伝わってきて。なんかこう、いい噛み合い具合のライブだったなっていう。 石野 噛み合い? はははは。 瀧 おまえ犬に持っていかれすぎなんだって。 石野 でも、電気グルーヴ、二人組になって、ライブも二人組の電気グルーヴとして……まあもちろんサポートはいるんですけど、それでやっていく中で、だいぶ今に近い形になってきたっていう。そういう時期のライブだよね。だから印象に残ってるのかもしんない。 Text:兵庫慎司 ※インタビュー後編は近日公開予定。お楽しみに! <イベント情報> 『FUJI ROCK FESTIVAL '24』 7月26日(金)~28日(日) 新潟・苗場スキー場 <電気グルーヴライブ情報> 『35周年ツアー “3594”』 9月14日(土)Zepp Osaka Bayside ほか