アーティスト、ローレン・ホールジーが描き出すLAサウス・セントラルのもう一つの物語──グローバル・クリエイティビティ・アワード2024
36歳のアーティスト、ローレン・ホールジーが2024年、あらゆる分野で時代を切り拓く先駆者たちを称える「GQ Global Creativity Awards」を受賞! 地元ロサンゼルスのサウス・セントラルというごく狭い地域性をインスピレーションに、彼女は黒人居住地区の活き活きとした暮らしを作品に落とし込んでいく。 【写真6枚】ローレン・ホールジーの作品およびアトリエの様子を見る 米ロサンゼルス、サウス・セントラルの一角に、ローレン・ホールジーのアトリエはひっそりと佇んでいる。その中に足を踏み入れると、インダストリアルな雰囲気の屋内はホールジーの創作物に浸食されているようだった。作品を収蔵するアトリエは、それ自体がアートと化していた。いつものように晴れたある土曜日に私が目にしたその作品群は、コンクリートが立ち並ぶ屋外と対照的にカラフルな輝きを放っていた。 広いテーブルの上にはアクリルとレジン、羽根でできたヤシの木が、ホールジーの憧れの人物たちの切り抜きに被さるように置かれていた。木材にマウントされ、グリッターが施されたその切り抜きの何人かは地元のヒーローたちだ。彼らボディビルダーやホールジーの家族、そして映画『ポケットいっぱいの涙』にも出演したラッパーのMCエイトといったセレブたちによって、この地区は活気に満ちている。ここの住人たちは毎日、有名人たちと交じり合いながら、カリフォルニアに暮らすということがどういうことか、イメージだけではなくスリルと感触をもって示しているのだ。 フーディとスニーカーというラフな出で立ちのホールジーが自身の活動について話すさまは、はっきりとしていて自信に満ちていた。「私の作品はいつだってサウス・セントラルと関わりがあります。これまでもずっとそうでした」と、彼女は柔らかく抑揚のある声で言う。「そこにこだわりがあるのはなぜかと言えば、“超具体的”とも言えるモチーフが扱えるからなのです。例えば、いとこのクルマや近所のドーナツ屋についてなんかね」。ホールジーはその人物たちの切り抜きを指差した。 これから彼女は、これらのイメージをスプレーペイントによるグラフィティを組み合わせた巨大な壁画へと生まれ変わらせていく。彼らヒーローたちはシーン全体を見守っているようだ。それが、この世を去りながら今も記憶に残っている人々を記念して作られた作品であるという感覚を惹起させた。近くでは、ホールジーのパートナーが写真にグリッターを振り撒いていた。 自身の体験、記憶、交流のある人々、そして場所の固有性から、ホールジーの解釈は飛躍していく。その結果生まれるものは、魔法に彩られた“オズの国”とサウス・セントラルが融合したような、都会のファンタジーである。ホールジーは、「ファンクの精神」に満ちたある一つの世界を創り出そうとしているのだという。 極彩色のカラーパレットは、DayGlo社の塗料が用いられた看板や、彼女の祖母のリビングルームにあるソファなどに着想を得ている。彼女にとって色は場所であり、ムードでもある。彼女は、髪をかっちりとアップに纏めたスタイリッシュな女性の写真を指して言った。「彼女の髪はここまでネオン色ではなかったでしょうね」。ファインアートの世界において、ボール紙やコルク、プラスチック、グリッター、家族写真などの素材は相手にされないことが多い。しかし、ホールジーが魅力的に用いる再構築の技法は、ありふれた素材にも錬金術を施すことができるのだ。 ■サウス・セントラルから世界へ 現在36歳のホールジーは、生まれてからずっとこの地域に住み、活動を続けてきた。それだけでなく、彼女の一家は1920年代からこの場所で生活をしてきた。彼女のアーティストとしての役割、そして政治にも熱心なコミュニティの一員としての役割が一体のものであることは明らかだ。コロナ禍においてホールジーは、自身が手がけてきた近所のコミュニティセンターをオーガニック農作物の流通センターへと作り替えた。 彼女は地域の細部まで理解を深め、そのイメージやフィーリングをリミックスしながら、馴染み深い風景や音、人々を自身のアート作品や建築を通してコミュニティに還元している。それはローカルなオーディエンスのための、ローカルな活動と言えるだろう。しかし近年、彼女がアート界で成功するようになると、そのごくローカルなビジョンは世界へと発信されるようになった。 それでもホールジーは、自身のアートの率直さ(および地域性)を失うことはなかった。例えば、メトロポリタン美術館の屋上庭園に昨年展示された作品を例に取りたい。全米で最も有名なアートコレクションを収蔵する建物の屋上に、ホールジーは高さ約6.7メートルの野外建造物をデザインした。 それは、美術館1階にあるエジプトのデンドゥール神殿を部分的に模したものだった。この作品の表面に、ホールジーは地元のイメージやフレーズ、アーティストや友人たちの肖像を象形文字のように刻み込んだ。彼女の家族はスフィンクスとなり、その入り口を護るように配置された。最終的にこの作品はサウス・セントラルに移築され、長期にわたって展示される予定だ。しかし、この春に彼女の初めてのヴェネチア・ビエンナーレで、そして今年ヨーロッパ中のギャラリーで展示される彼女の多くの作品と同じように、この記念碑的な作品は故郷へと戻る前に別の場所へと旅することになった。 「彼女は自身のプロジェクトをとても野心的に考えています。彫刻作品であると同時にアーカイブプロジェクトでもあるとね」。2021年の夏、ガゴシアン・ギャラリーで開催された黒人アーティストの大規模展覧会でホールジーを取り上げた、キュレーターのアントワン・サージェントは言う。ふたりが知り合ったのは10年前、ホールジーがイェール大学の院生だったときのことだ。ガゴシアンのディレクターとなったサージェントは昨秋、ホールジーを同ギャラリーの所属作家に連ねた(彼女の獲得について彼は「考える必要などなかった」と話した)。 サージェントの見立てでは、ホールジーは建築を学んだ初期の経験を、彼女自身を含めた黒人の主観を表現し保護する手段として用いているという。「(作品を通して)我々は、彼女が訪れたことのある食料品店や、彼女の隣人が作って庭に飾っていたスフィンクスの紙細工などを目にすることになります」と、サージェントは言う。「それらは記憶の中の美しい一瞬であり、それ自体が一つのアートの形を成すものです。それは街によって美化の名の下に塗りつぶされてしまうものでもありますが、ローレンはそれこそが美であると言っているのです。彼女の描く風景を通して、私たちはここにいた、そして今もここにいると示すことができるのです」 アトリエで、私は一つの場所に留まる暇などなかった。テーブルからテーブルへ、ホールジーがひっきりなしに私を案内してくれたからだ。ある作品では、彼女のもう一人のいとこが栗毛の馬にまたがり、鑑賞者を誘惑するような視線で見下ろしていた。彼女の題材となる多くの人物と同じく、彼女自身もカメラを覗き込み、観察者の視線を投げかける。 私が作品に触れてもいいか尋ねると、彼女は「もちろん!」と答えた。この「触れてみたい」という気持ちと、より深くパーソナルなレベルで生じる作品体験は、彼女の作品がある場所に着想を得ていること、また場合によってはその場所から直接的に収集した要素で成り立っていることを思い出させた。その場所とは、我々の多くが生まれて初めて経験する“美術館”、つまり黒人の家庭である。 ■街の記憶を語り直す 近くに止まったタコス売りのトラックまで出かけた後、私たちは再びアトリエへと戻った。アトリエで私は、「ラターシャ・ハーリンズ・プレイグラウンド」という看板の切り抜きに気がついた。1992年にロサンゼルスで起こった暴動の一因にもなった、ある食料品店の店主に射殺された15歳の女の子の名前を冠した地元の公園だ。その近くには「トム・リカー・マート」の写真があった。フローレンス通りとノルマンディー通りの交差点に位置した酒店で、前述の暴動の中心地となり放火をされた場所だ。このとき、ホールジーはまだ5歳だった。 メディアが「ロサンゼルス暴動」と呼んだこの反乱の傷跡は、今も街の至る所に残っている。それはホールジーの作品にも影響を及ぼしているが、歴史的や政治的に抽象化された方向にではない。むしろ、暴動の現場として有名になった場所を、彼女は温かく愛情を込めて称えている。なにしろこれらの場所は、彼女にとっては楽しい時間を過ごした子ども時代の日常の風景でしかないのだ。 偏見をもって語られがちな黒人居住地区に住む人々にとって、そのカウンターとなる物語の必要性は切実なものだ。偏見は住人たちに反射的に防御態勢をとらせ、空虚な中傷や非難、誤解に、自意識過剰に反論しなければならない状況を生み出している。92年の暴動が黒人居住地区を一般化して語る言説に利用された、サウス・セントラルのような地域ともなればなおさらだ。ホールジーの作品は、そのような不誠実な語りに対抗するカウンターというよりも、黒人が住む街とその住人たちを、それらを貶める社会とは別の領域で語り直そうという試みなのである。 こういった新たな語り直しも、彼女がフォーカスする家族のリアルな記憶も、広く流布された地元についての語りの「B面」に当たると彼女は言う。ホールジーにとって、家族はアートの題材であるだけではない。家族こそがアートなのだ。だからこそ、彼女は地元を去ることなど考えられないという。 「ここから遠く離れるほど、幸福からも遠ざかる気がします」と、彼女は言った。「私はここでしか幸せになれないのです」 ローレン・ホールジー アーティスト 1987年、米・ロサンゼルス生まれ。カリフォルニア芸術大学で学士課程を卒業後、2014年にイェール大学で芸術修士を取得。家族代々住んできた地元ロサンゼルスの暮らしをモチーフに、コラージュや大規模なインスタレーション作品を手がける。 From GQ.COM by Jasmine Sanders Translated and Adapted by Yuzuru Todayama