“100年に1度の逸材”棚橋弘至も2回落ちた「新日本プロレスの入門テスト」
黒木)大学に入るまでは、それほど大きな体ではなかったのですか? 棚橋)トレーニング方法は身に付いていたのですが、食事面でタンパク質を多く摂るとか、プロテインを摂るというような知識は欠けていました。大学に入り、たくさん食べ始めてから一気に体重が増えた感じですね。無茶苦茶食べていました。 黒木)そのときは「プロレスラーになろう」と思っていたのですか? 棚橋)思っていました。大学1年生のときに学部でクラス分けがあり、なりたい職業について自己紹介を行ったのです。法学部なので、みんなが弁護士や司法書士などの職業を言うなか、私が「プロレスラーになりたいです」と言ったら、しばらく誰も話しかけてこなくなりましたね。 黒木)入門テストは3回目で合格したそうですが、なぜですか? 棚橋)大学2年生のときに初めて受け、当時はすべての種目ができたのですが、合格者なしだったのです。 黒木)どんな種目があるのですか? 棚橋)基礎体力です。スクワットや腕立て伏せ、ブリッジ3分などをやりました。そのときはスクワット500回でしたが、いまは1000回やらせます。腕立て伏せは50回4~5セットを連続でやります。私が合格したときは50名が受験して、最後に5人が残り、デビューできたのは3人です。狭き門でした。 黒木)過酷な入門テストをクリアできた方しかプロレスラーにはなれないのですね。 棚橋)私は2回落ちています。でも、おかしくないですか? 100年に1人の逸材で将来社長になる男を落とすなんて、試験官たちは見る目がないですよね。 黒木)そこからプロレスラー人生が始まるのですね。
棚橋弘至(たなはし・ひろし)/プロレスラー・新日本プロレス社長 ■1976年、岐阜県生まれ。 ■立命館大学法学部時代にレスリングを始め、1999年、新日本プロレスに入門。10月、真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。 ■2003年に初代U-30無差別級王者となり、その後2006年に団体最高峰のベルト、IWGPヘビー級王座を初戴冠。第56代IWGPヘビー級王者時代には、当時の歴代最多防衛記録であるV11を達成した。 ■またプロレスラーとして活動する一方で、執筆の他、テレビ番組等に多数出演。2018年には映画『パパはわるものチャンピオン』で映画初主演。2016年にはベスト・ファーザー賞も受賞した。 ■愛称は「100年に1人の逸材」。 ■2023年12月、新日本プロレス新社長就任を発表。