大森時生が考える、“ファウンド・フッテージ”の未来予想図。「このテープ」「行方不明展」から『悪魔と夜ふかし』へ
今夏、東京・日本橋で開催され大きな話題となった展覧会「行方不明展」。気鋭のホラー作家である梨、恐怖体験を作りだす制作会社の株式会社闇とタッグを組み、本展を作り上げたのがテレビ東京の大森時生プロデューサー。「テレビ放送開始69年! このテープもってないですか?」や「TXQ FICTION/イシナガキクエを探しています」など“ファウンド・フッテージ”の手法を用いたフェイクドキュメンタリー番組を次々発表してきた大森は、昨今のブームを築いた立役者の一人といえる。PRESS HORRORでは大森にインタビューを敢行し、「行方不明展」の裏話から、大森がいま注目している作品、ファウンド・フッテージの未来予想図に至るまで、たっぷりと語ってもらった。 【写真を見る】まるでアメリカ版“冝保愛子”?…生放送の深夜番組で、史上最悪の放送事故が起こる ■「『行方不明展』では、ジャンルの裾野が広がったように感じました」 「行方不明展」は、7月19日に開幕するやいなやSNSを中心に反響を集め、土日のみならず平日でもチケットが完売するほどの盛況となった。9月1日の閉幕まで45日間の会期中の総来場者数は約7万人にものぼり、今冬には書籍化されることも決定している。 「『思っていたよりも来てくれたな…』というのが率直な感想です。この『行方不明展』をやるまでは、テレビと生業としている以上、お客さんに生で会うということがほとんどありませんでした。どういう人たちがこういう(ファウンド・フッテージ)ものが好きで、興味を抱いてくれるのか。実際に目で見て、直接感じることができたのは、今後の糧になるとても貴重な体験でした」。 なかでも大森の印象に残ったのは、「予想以上に、若い世代が足を運んでくれたこと」だという。「お化け屋敷みたいにわかりやすい恐怖体験ができるわけでもなければ、昨今流行しているイマーシブ・シアターのような没入体験ができるわけでもない。展示物やキャプションを自ら読んで想像を膨らませて、なにかしらの感情を動かすという点では読書に近い行為だったと思います。よく『Z世代は文字を読まない』とか、『ショート動画しか観ない』なんて言われていることがありますが、まさにその世代の方々が足を運んでくれた。それだけでジャンルの裾野が格段に広がったように感じています」。 SNSでの反響をチェックしているなかでは、印象的なポストに出会ったそう。「“ここではないどこか”へ行きたい人や行ってしまった人がいて、その行ってしまった事象を“行方不明”と呼んで展示しました。そのなかには行ってしまった人からのメッセージもあって、『どこかへ行きたい』という気持ちは肯定するけれど、行った先でどういうことになるのかは保証しない。もしかしたら、ここよりも最悪かもしれない。そんな展示を見て、『いまの場所で、もうちょっと踏みとどまってもいいかも』という感情につながったと投稿されている方がいました」と、Xで見つけた来場者の感想に心惹かれたことを明かす。 「僕も梨さんも、いわばチアアップ的な感情を呼び起こすなんて予想していませんでした。不気味さを描いたつもりだったのに、それが逆に勇気づけることになったというのは、うれしいというか興味深かったです。投稿を見つけたのは会期の半ばごろだったのですが、頭の片隅に置いてあらためて展示を見てみたところ、『そう捉えることもできるかも』と気付かせてもらうことができました」。 ファウンド・フッテージというジャンルに“体験型の展覧会”という新たな可能性を見出した「行方不明展」。そのうえで大森は現役のテレビマンとして、テレビというメディアにどのように向き合っているのだろうか。「テレビは“たまたま観る”体験ができる最後のメディアです。YouTubeはクリックしないと再生できないし、映画も展覧会も観に行かないといけない。特にホラージャンルは閉じた世界になってしまいがちだからこそ、好きじゃない人にも観てもらえるという点で、テレビにはまだ強みがあると思うんです」。 「そのようにたまたま目にする可能性があるテレビと、ファウンド・フッテージをはじめとしたフェイクドキュメンタリーは非常に相性がいい。『放送禁止』の長江俊和監督が『SMAP×SMAP』でやられた『香取慎吾 2000年1月31日』だったり、白石晃士監督が撮られた『日本のこわい夜~特別篇 本当にあった史上最恐ベスト10』なんかはいま観てもとても刺激的で、いずれもゴールデンタイムに放送されたというのが信じられないほど、本当におもしろい。この手法がハマるのはどう考えてもテレビしかないと思いますし、僕自身もゴールデンや生放送に憧れは強く持っています」と力を込める。 ■「『悪魔と夜ふかし』には、ファウンド・フッテージの手法が効果的に取り入れられています」 そんな大森がいま注目しているのが、10月4日に公開されたばかりの映画『悪魔と夜ふかし』で、生放送番組の封印されたマスターテープが発見されたという“ファウンド・フッテージ”の様式を取り入れたホラー映画だ。今春の北米公開時には批評家の称賛を集め、映画批評を集積・集計するサイト「ロッテン・トマト」のスコアは97%を記録。かねてよりホラーファンのあいだで話題になっていた『悪魔と夜ふかし』だが、大森も同様に公開を待ちわびていたそう。 物語は、1977年のハロウィン深夜に放送された生番組「ナイト・オウルズ」のマスターテープが発見されるところから始まる。その日の放送では、司会者のジャック・デルロイ(デヴィッド・ダストマルチャン)が人気低迷からの挽回をねらって怪しげな超常現象を次々と紹介。その目論見通り、番組は過去最高の視聴率を記録した。しかし、悪魔に取り憑かれた13歳の少女リリー(イングリッド・トレリ)の登場をきっかけに思いも寄らぬ惨劇が巻き起こることとなる。 大森自身が手掛けた作品にも、本作と同様に“過去に作られたテレビ番組の奇妙な映像が発掘される”という設定の「このテープもってないですか?」がある。同作はスタジオにいるいとうせいこうと井桁弘恵らが、1980年代に放送された「坂谷一郎のミッドナイトパラダイス」という深夜番組の貴重な録画映像を観てコメントするという内容。初回は“昭和のテレビあるある”を楽しむコメディ調の内容だが、2回目、3回目と回を重ねるごとに違和感が増えていき、不穏な空気が番組全体を呑み込んでいく…というホラー作品だ。 「率直に、エンタテインメントとしておもしろかったです」と『悪魔と夜ふかし』の感想を語りだした大森に「このテープ」との共通点について問うと、「構造は確かに似ていますね。でも『悪魔と夜ふかし』は劇映画ですから、整合性に囚われていないぶん『このテープ』よりスイング感があります」と顔を綻ばせる。 「監督のコリン&キャメロン・ケアンズ兄弟も元テレビマンだと聞いています。もともと自分たちがいた場所だから、舞台設定を活かした映画を作ることができたのでしょう」と同業者ならではの視点を覗かせる。「仮にこのシチュエーションを一般的なカット割りで見せたらここまでおもしろくはならなかったと思います。“本当に放送されたもの”として描くから成立しているわけで、手法としてのファウンド・フッテージが非常に効果的に取り入れられていると思います」。 さらに大森は、劇中で特におどろかされた表現があったと声を弾ませる。「スタジオにテルミン(※編集部注:手をかざすことで演奏する電子楽器)が置いてあって、怪現象によって鳴りだすことでSE(サウンド・エフェクト)として機能する。これは大発明です!自由にSEを付けることができないということが、ファウンド・フッテージの弱点の一つ。入れるとしてもノイズとか、その場で聞こえてもおかしくない音でないといけません。誰がこの不気味な音をつけたのか?ということが気になってしまいますから。しかし、ホラーの最大の武器は音です。このやり方を使えば、もっと可能性が広がるのかなと思いました。僕もみんなが忘れた2年後くらいに、しれっと使ってみようと思います(笑)」。 ■「オーストラリア・ホラーには、Jホラーに近しい作家性を感じます」 『悪魔と夜ふかし』の特異点について尋ねると、大森は「ファウンド・フッテージ部分の多さ」を挙げた。「数年前に流行った台湾映画の『呪詛』のように、大きな物語のなかの一要素としてファウンド・フッテージの手法を取り入れるのがいまのトレンドです。この手法には、短い映像を積み重ねることで、長い作品を観ることに耐性がない人であっても作品の世界観に導きやすいという利点があります。ですが『悪魔と夜ふかし』の場合は、あえてその逆のアプローチを行なっていました」。 つまりファウンド・フッテージ部分が、映像の長さとしても圧倒的分量なのだ。“生放送された番組”の映像が劇中の大半を占めており、司会者ジャックのバックグラウンドや時代背景を解説したドキュメンタリー部分、CM中の舞台裏の様子が合間にインサートされていく。 「『なぜそんな映像が残っているのか』という疑問を感じさせないほど、舞台裏の映像が堂々と流れます。理由はシンプルで、単純にフィクションとしての強度を高めるために必要だったのだと思います。その潔い割り切り方も含めて、ケアンズ兄弟の視点にはとても興味深いものがあります」と、演出の剛腕さに舌を巻く。 大森は、彼らや『TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー』(23)のフィリッポウ兄弟のような気鋭作家が次々と生まれているオーストラリア・ホラーの強みとして、“ハリウッドの影響を受けづらい”ことを挙げる。「スタジオ主導で万人受けするカタルシスに流れがちなアメリカン・ホラーと違い、繊細な物語に収束していく展開は、むしろJホラーに近しい作家性を感じます。そういった点でも、『悪魔と夜ふかし』は日本の観客に広く受け入れられると思います」。 ■「テレビというメディアは、ファウンド・フッテージの舞台として絶妙です」 映画史をさかのぼれば、40年以上前から存在するファウンド・フッテージ作品だが、いまあらためてブームとなっている理由の一つは、スマートフォンの普及によって“撮影する”という行為が気軽なものになったからだろう。「『なんで撮ってたの?』という問題にぶつかりにくくなりました。かつてはカメラを回すことに理由が必要でしたが、いまは理由がなくても納得できるようになったと思います」。 大森の指摘する通り、過去の代表的なファウンド・フッテージ作品にはカメラを回す理由が描かれていた。たとえば白石晃士監督の『ノロイ』(05)には、ドキュメンタリー作品を撮るという名目があり、世界的にムーブメントを巻き起こした『パラノーマル・アクティビティ』(09)では、『睡眠中になにが起きているのか?』という、撮影しなければ確認できない事象を確かめるため、という説得力が与えられていた。 「儀式や祭りのようなものだったら、“記録すること”自体が理由になります。『イシナガキクエ』の第4話のように、殺すところまで記録しているというのは少々無理矢理かもしれませんが(笑)。でも、いまの10代の子なんかは物心ついた時にはYouTubeやInstagramがあった世代。もうカメラを回すことに理由が必要、という感覚自体がなくなっているように感じます」。 そのような現状を踏まえて、『悪魔と夜ふかし』のような作品は「メディアの過渡期である、いまだからこそ成立した作品」だと説明する。「“完パケ”のテレビ番組が大半を占める構成こそが、本作のおもしろさの源だと思いますが、ほとんどの人間は、動画を撮影しても編集はしません。完パケがアーカイブされるという概念はテレビ特有のものです」。 デジタル機器の発達とトレードオフで若い世代の“テレビ離れ”が進んでいると言われるようになってずいぶん経つが、そのあいだに物理メディアで録画する行為がなくなったことで、“ファウンド(=発見)”されるために必要な“ロスト(=消失)”がなし得なくなっている。 「少なくとも現時点では、テレビというメディアはファウンド・フッテージの舞台として絶妙なんです。子どもの頃に録画したテレビ番組のVHSが実家の棚から見つかる…というのはまだ充分にあり得る話で、あり得そうだから成立するんです。だから20年後も同じような設定が通用するかと言われれば、正直わかりません」と強調する。 「何十年か先、例えばYouTubeが閉鎖されたのちにファウンド・フッテージものを作っても、整合性や強度は自ずと弱まってしまうでしょう。テレビのように録画するわけでもなく、一般的にダウンロードすることもありませんから、動画ファイルが見つかった…という設定が、ものすごくご都合主義的になってしまうでしょう」と分析し、「そういう意味でも、『悪魔と夜ふかし』はこの時代だからこそ生まれた、いま観るべき作品だと言えると思います」とあらためて太鼓判を押した。 最後に、大森自身の今後のビジョンについて尋ねた。「フェイクドキュメンタリーというジャンル、ファウンド・フッテージという表現方法にはまだまだ可能性があると思います。いまのブームはホラージャンルに偏っていますが、岩切一空監督の『花に嵐』のように複数のジャンルが混ざっていて、奇妙な気持ちになる作品もある。そういう日常と地続きで不思議な異空間に行ってしまったような感覚を与えるものも作っていきたいと思いますし、さまざまなアプローチでフェイクドキュメンタリーのおもしろさを追求していきたいですね」。 取材・文/久保田 和馬