月亭方正「俺、パグやわ!」クラスの人気者からバラエティ芸人、そして落語家への道
テレビのバラエティ番組などでの体を張った芸で人気となった山崎邦正。しかし、芸歴20年目、40歳の節目で芸人として不安に襲われる。そんな折に東野幸治の勧めで落語と出合う。人生の土壇場からの再出発は、自らの魂と向き合う旅へとつながっていく。 【インタビュー写真】俺のクランチ-月亭方正- ピン芸人としての苦悩やテレビ出演で味わった気持ちの転換、そして落語との出合い。山崎邦正から月亭方正という新たな人生の可能性を開拓していく過程を、ニュースクランチ編集部が聞いた。 ◇コンビとしてデビューするも早くも訪れた土壇場 1988年、お笑いコンビTEAM-0としてデビュー。1991年には「ABCお笑い新人グランプリ」で最優秀新人賞を獲得するなど、順調に芸人人生を歩み始めたかのように見えた。しかし、彼の土壇場はすぐに訪れる。 「24~5歳でコンビを解散したんで、その頃が最初の土壇場でした。芸人を本当に辞めようと思った時期です。関西の若手の登竜門である、ABCお笑い新人グランプリの最優秀新人賞も取って、月50万くらいは収入があって。うまいこと走り出したなっていう矢先に、相方が“芸人を辞めたい”と言ったんですよ。 最初は俺もすごい止めました。だって、これからじゃないですか。でも、最終的に“お笑いをやりたくないねん”って言われて、それには何も言えなかったですね。“じゃあ、しょうがない”ということでピン芸人になりました」 しかし、本当の苦難はここからだった。 「“アホでヘタレでおもんない”というキャラクターを受け入れた俺が悪いねんけど、この3つが自分ではずっと飲み込めずにいたんですよ。小さい頃から、周りからは“おもろい”と言われて芸能界に入ったのに……芸能界に入ってから腐っていったんです。 そこから救ってくれたんが、たまたま見たムツゴロウさんの番組だったんです。犬の集団のボスが変わる特集をやっていたんですけど、ボスが変わるときって、いろんな犬が喧嘩を仕掛けるというか。 そんなかに1匹の小さなパグがおって、ボスのセントバーナードに喧嘩を売るんですけど、バーンって飛ばされる。それでもへこたれずにガーっと向かっていく。ちっちゃいパグが吠えてる姿に感動して。“俺、パグやわ!”って」 そこからバカにされても噛みつく姿がウケて、テレビ番組への出演オファーも増えていった。自己肯定の難しさや、世間の期待と自己の魂との葛藤を経て、新たな道を切り開いていく。 「世間の求めているものと自分がやりたいことは違っていて、“世間が求めているものを受け入れたら、経済は回るんだ”と気づいた。自分の魂を殺して、箱に入れることにしたんですよ。そうすれば経済は回る。ただ、経済が回ったからといって、自分の魂が喜ぶかどうかは全く別の話なんです」 ◇山崎邦正から月亭方正への新たなる挑戦 テレビでの活躍で安定したキャリアを築いていたが、2008年に40歳を迎え、人生の新たな転機に直面する。 「40歳になると人生を振り返ったりしますよね。そんなときに、ほかの芸人と営業へ行って、俺が2~30分時間を与えられても、やることがないんです。ほかの芸人はネタやったりするでしょ? やっぱ、俺はテレビ芸やったから……。 クラスのおもろいヤツってことは団体芸なんですよね。そんな自分が一人でステージに立ったとき、できることがないやん!って。テレビは20年やってきたから、そこに対しての自信はありました。例えば、『アッコにおまかせ!』のスタッフから、本番30分前に“すいません。出演者に欠員が出て、すぐ来てもらえますか?”って言われて、何も用意しないで行っても対応できたし、そういう自信はあるんです。 ただ、生のお客さんを前にして笑かす芸がない。俺が19歳でこの世界入ったときの芸人像と、あまりにも違う自分がいた。ただただ経済が回ってるだけ。そこで、すっごい落ち込んだんです」 その後、新喜劇の座長を目指すなどもしたが、自身の性格などから断念せざるを得なかった。大晦日の人気特番『絶対に笑ってはいけない~』など、テレビの視聴者としては順調に見えた道ではあるが、彼自身は真摯なお笑いへの思いによって土壇場へと向かっていたのだった。 「ルミネで座長になってコントもやってみたけど、自分が稽古したい!って急に思ったとき、ほかの人を集められへんのですよ。こう見えて気ぃ使いなんで(笑)」 転機は、東野幸治から落語を勧められたこと。山崎邦正は落語への興味を深めていった。 「今まで落語は聞いたこともなかったし、古典芸能ってなんやねん!っていう感じでした。でも、東野さんから“おもろいから聞いてみ”って言われて、東野さんに言われたらしゃあないかと、勧められた桂枝雀師匠の『壺算』と『高津の富』を聴いてみたら、もう衝撃を受けて。 落語ってこんな感じなん? おもろいやん! と、そこからずっと落語漬け。枝雀師匠を全部聞いて、次は立川志の輔師匠。“古典もおもろいけど、創作落語もおもろいやん!”って。もともと落語って硬いイメージがあったけど、全然違う。ほんま東野さんの言うこと聞いといてよかったなって思いますね」 東野幸治の助言に触れ、自らの新たな可能性を見出した。落語という新たな世界に挑戦する決意を固めることとなる。 「東野さんは昔から真実しか言わへん人なんです。普通はオブラートに包むじゃないですか。だから、白い悪魔とか冷酷人間とか、感情が無いとか言われる。それは真実の人やからなんです。 きっと“方正は何が得意で、 何が合うのか”をわかって言ってくれたんやと思うんです。藤井(隆)くんに対してもずっと“芝居やったほうがええんちゃう?”って言われていて。藤井くんも一時悩んでて、本人としてはバラエティでもっと上に上がりたいと思ってたけど、東野さんが芝居もやれば?って勧めて、今じゃお芝居でも売れっ子ですから」 先輩の助言によって彼の内なる魂が目覚め、芸人としての土壇場は新たな人生の幕開けを予感していた。 「落語に出会ったことで、魂を入れていた箱の蓋が震え出しよったんです。もう経済を回すとかじゃなく、自分を喜ばす人生を送りたいと。今まで懐中電灯を頼りに歩いていたのが、急に行く先が照らされた感じ。その奥はどうなってるかわからんけど、あとは行くだけでした」