危険ドラッグで暴走の車が衝突、25歳の息子失った父親の10年 「歴史繰り返してしまう」大麻グミ問題などに危機感
「やれることをやろう」撲滅へ続ける活動
好物だった炭酸飲料の隣で屈託のない笑顔を見せる息子の遺影にそっと手を合わせて目を閉じた。中野市草間の県道で危険ドラッグを吸った少年の乗用車が暴走し、衝突されるなどした車の3人が死傷した事件から14日で10年―。消防士の長男育也さん=当時(25)=を亡くした川上哲義さん(67)=塩尻市宗賀=は、危険ドラッグ撲滅と犯罪被害者支援の充実を求めて活動を続けてきた。この間の歩みを改めて仏前に報告し、「息子によくやったねと言ってほしいのかもしれないね」と語った。
病院に着く前に息を引き取る
活発で友人が多かった育也さん。幼い頃から消防士を志し、長野救命医療専門学校(東御市)を卒業後、岳南広域消防本部(中野市)に入った。「着ることが目標」と話していたオレンジ色の制服は、高度な救助技術を持った消防署員が任命される救助隊の象徴。就職後は救急救命士の国家資格取得の勉強にも打ち込み、帰省する時も参考書を持ってくるほどだった。
一報を伝えたのは育也さんの上司だった。哲義さんはすぐに搬送先の北信総合病院(中野市)に向かった。道中、パトカーが大挙する事故現場を目の当たりに。育也さんは哲義さんが病院に着く前に息を引き取った。霊安室で対面した顔つきは傷がひどく「元気な時とまるっきり違った」。記憶は曖昧なままだ。
「飛行機が落ちたようだった」。今も現場近くで勤めている50代女性は事故の衝撃の大きさをそう振り返る。県警などの調べでは、育也さんの車は約40メートル飛ばされ、少年が運転する車は時速126キロ以上出ていた。「亡くなった方の名前を呼ぶ消防隊員の声が耳から離れない」
少年は約半年間に65回、危険ドラッグを購入
少年は事故までの約半年間に65回、インターネットで危険ドラッグを購入していた。「若い人が同じ道を進むことがないように法の網をかけてほしい」。哲義さんは事故から約5カ月後、別の遺族と厚生労働省に出向き、危険ドラッグ撲滅を塩崎恭久厚労相(当時)に訴えた。教職員や保護司ら向けの講演も20回ほど重ねた。今月15日には初めて少年院で思いを語る。