「交流戦全試合ヒット継続中」!...日ハム・水谷瞬の野球人生を変えた「恩師の助言」
「パワーで野球をしていない」
セ・リーグとの対戦の皮切りとなった5月29日の阪神戦でプロ初の猛打賞をマークして以降、15試合連続でヒットを放っている日ハム・水谷瞬。交流戦での、ここまでの打率は脅威の4割8分2厘で、一気に全国区にのし上がった。 【一覧】プロ野球「最も愛された監督ランキング30」最下位は、まさかの… だが、石見智翠館高校時代は2年生の秋までベンチに入ることさえなかった。3年生になる春に訪れた野球人生の転機を、恩師の末光章朗監督が回想する。(記録は6月14日現在) 前回記事「『交流戦首位打者』日ハム・水谷瞬が恩師にようやく届けることができた心揺さぶる『言葉』」では、水谷と末光監督の絆の深さがうかがい知れる秘話を紹介している。 末光監督が水谷と初めて会ったのは中学3年生のとき。水谷が所属していた「愛知津島ボーイズ」のコーチが末光監督の中学校の後輩だった縁で、石見智翠館のオープンキャンパスを訪れ、部活動体験で野球部の練習にも参加したのだ。 「お父さんがナイジェリアの方ということも、どんな選手かもまったく聞いていなかったのですが、そのときから身長は190cmくらいあって、足も速いし、身長がそれだけあるのにパワーで野球をする感じがなかった。 すごく強烈な打球を打ったとか、そういうことはありませんでしたが、なによりよかったのは変な癖がなかったこと。そこに1番の伸びしろを感じました。このまま力をつけていったら本当に楽しみだなと思いましたね」(末光監督 以下の「」もすべて同監督) だが、2年生の夏が終わった時点でも、水谷の公式戦出場はゼロ。それどころかベンチにも、その姿はなかった。どんな理由があったのか。
1日1200スイングした2年生の冬
「体が細かったんです。それだけ身長があるのに、入ってきたときの体重は80kgもなかったんじゃないかな。バッティングは当て感もよくて、場数を踏んだらどんどん成長すると思っていたんですが、故障もありましたし、体ができていないから練習量もセーブせざるをえませんでした。2年生の夏もメンバー入りを狙えるという感じですらなかった。 私の印象では最初のころはあまり自信を持てていないように感じましたし、プロでやりたいという意識もなかったような気がします」 それでも真面目な性格の水谷は日々、自問自答しながらやれること、やるべきことを積み上げていき、その高いポテンシャルに体も少しずつ追いついていったのだろう。 新チームとなった秋からレギュラーを任された。 「まずは6番を打たせていました。ホームランも打てるようになってきたというのもありますが、水谷は足もあるので2ベース、3ベースヒットが多い打者でしたのでチャンスメイクもできた。最初はこの学年のチームには水谷が入っていた方がいいかなくらいでしたが、貴重な存在になっていってくれました」 冬場は仲間とともに平日は700~800、土日は1200回ほどバットを振り続けた。 「うちは冬はトレーニングをしっかりやりますし、バットも数を振らせます。水谷はやはりそこまでの1年半弱、思い切りはできていなかったので、出遅れていたところはあったと思うのですが、かなり頑張っていましたし、数を重ねながら感覚的にもつかんだものがあったんじゃないですかね」 ブレイクスルーは厳しい冬を乗り越えた、春にやってきた。