〈売春島と呼ばれた島③〉「相方のヤクザに200万円で売り飛ばされてここにきた」元娼婦が語る身売りからギャンブル、クスリ漬けの日々…それでも「ここは青春の島やった」と語れる理由
慰安旅行に訪れた男たちが、宴会にコンパニオンを呼び、飲んで騒いで気に入った女性と一夜をともにする――。一見すると、昭和バブルの光景に思われるが、これは三重県志摩市の渡鹿野島(わたかのじま)で、およそ10年前まで繰り広げられていた日常だ。集英社オンライン記者は、匿名を条件にかつてこの島の「置屋」(売春斡旋所)で働いていたという元娼婦の女性を取材した。 〈画像多数〉娼婦たちが過ごしたアパート内部やガランとした現在の置屋の内部、廃墟となったホテル、道端でのんびり過ごす野良猫など
元売春婦が語る往時の渡鹿野島
最盛期には島内のあちこちに置屋が乱立し、200人もの娼婦がいたといわれる渡鹿野島。集英社オンラインでは、そんな「売春島」の現状を過去2回(#1、#2)にわたって報じてきたが、この島の歴史について語ろうとする島民はけっして多くなかった。 事実、記者が話しかけると友好的に接してくれるが、身分を明かした途端、あからさまに避けようとする島民もいた。 そんななか取材に応じてくれたのは、この島で長年にわたり娼婦として働いていたというサツキさん(仮名)だ。彼女は「私たちのおかげで島は成り立ってたのに、どうして島民たちは貝になる(黙る)んや。本当の意味で島をクリーンにするなら、そういう歴史も背負っていかなあかんのちゃう?」と怒りをにじませる。 街灯が照らす海岸沿い、かすかにさざなみが聞こえるベンチにゆっくりと腰かける。しばしの沈黙のあと、サツキさんは遠くを見つめながら、その壮絶な半生を語りだした。 「もともとは地方で水商売をやってたんやけど、そこで出会った相方に、ここ(渡鹿野島)に200万円で売り飛ばされたんや。当時はなにも言われずに車で渡船場まで連れていかれたんやけど、やっぱり怖いやんか? 相方はやっちゃん系やったし、『これから私どうなるんや?』と不安だったのを覚えとる。まあ当時は私も、クスリにどっぷり浸かってたから、相方に『クスリの金は出るから安心せえ』と言われて、しぶしぶ(置屋の)女将のもとで働き始めたんや」 当時の渡鹿野島は、すでに最盛期を過ぎていたとはいえ、島内のあちこちに置屋が乱立していて娼婦の数も100人は超えていた。まだ20~30代の日本人女性が在籍していることも珍しくなく、なかにはモデルのような外見の娼婦までいたという。 「あのころ島で一番盛り上がっていたのは、24時間営業のゲーム賭博やな。私を含めてギャンブル依存のホステス(娼婦)たちでいつも賑わってたわ。 稼ぎは日によって変わるけど、当時はショート(1時間)とロング(泊まり)で、1日にだいたい5、6万円はいってたと思うわ。 まあその内の半分は置屋に持っていかれて、借金の返済にも充てられるから手元に残るのは2万円くらいやな。当時は島にも活気があったから毎日がお祭り騒ぎで、気づいたらこの島での生活が楽しくなってたんやわ」
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