155年続く木村屋總本店が本気で「パン食い競争」に取り組む理由
PARaDE代表の中川淳が、企業やブランドの何気ない“モノ・コト”から感じられるライフスタンスを読み解く連載。今回のテーマは昔なつかしい「パン食い競争」。なぜ今、パン食い競争なのか。そこから滲み出てくるライフスタンスとは? その正体に迫る。 昔は運動会の定番種目だった「パン食い競争」。いつしか廃れてしまって、近年はあまり話題に上らなくなった。ところが、2024年4月に東京 日本橋で行われた「桜フェス日本橋」でパン食い競争が行われ、約200名が参加して大いに盛り上がったという。仕掛け人は、あんぱんで有名な木村屋總本店 代表の木村光伯氏と為末大氏だ。ふたりはもともと知り合いで、飲みの席で盛り上がり、同プロジェクトを立ち上げた。 このパン食い競争は、ただのパン食い競争とはひと味違う。パン食い競走協会なるものが設立され、スポーツパンシップに則り、楽しいパン食い競走文化を広め、パンを通じて幸福を配り、世界平和を実現するというミッションのもと実施されている。 「全てのプレイヤーはパンの元に平等である」「叩き練られるほど、パンも人も味が出る」などのスポーツパンシップ宣言や、「パン幅は1m50cm以上離す」「パンをはさむ圧力は400g以上500g以下とする」などの細やかな仕様、「レースで獲得したパンはレース後に食べ切らなければならない。不食行為が発覚した場合、レース結果は剥奪される」などのルールが定められており、思わず笑ってしまうほどの真剣さだ。 銀座にある木村屋總本店は、明治2(1869)年に前身となる文英堂として創業して以来、155年続く老舗のパン屋。あんぱんの元祖としてご存知の方も多いだろう。明治時代初期、日本にパンは入ってきていたものの、まったく流行していなかった。そんな折、創業者の木村安兵衛氏が日本人に馴染みの深い饅頭に着想を得て、明治7年にあんぱんを考案したところ大ヒットした。翌年には明治天皇にも献上され、それ以来 宮中御用達ともなり、日本にパン食文化を広める立役者として名を馳せた。 明治初期といえば文明開花が始まったばかりで、外国のものをローカライズする手法がまだ確立されていなかった。そんな時代に、新しい物をそのまま取り入れるのではなく、かといって古いものを否定するでもなく、とんかつ屋のタレのように、古くからあったものに新しいものを織り交ぜながら、日本文化として昇華させた功績は計り知れない。その頃から培ってきた進取の気性でイノベーションを起こすDNAや、単にヒット商品を生み出すのではなく新しい食文化を作るという気概が、木村屋總本店には脈々と受け継がれており、それがパン食い競争からも滲み出ているのであろう。 そもそも彼らのパン食い競争は、緻密なマーケティング戦略によって生み出されたのではない。木村社長と為末氏が酒の席で盛り上がって生まれたという、自然発生的な展開が特徴的だ。本人たちが自ら思い切り楽しんでいる様子が伝わってくるし、それがオーディエンスにも伝わっていて、なんとも素敵な空気感を醸し出している。 一見、今更ながら……と思われるかもしれないが、このタイミングでパン食い競争というのもまたいい。老若男女、体格差や運動神経問わず、それなりにみんな競争になるところがダイバーシティ的な在り方で、今の時代感にマッチしている。しかもこのパン食い競争、誰でも開催できるようにフォーマットを広く開放している。例えば地方で開催される場合、必要な道具を貸し出したり、パンも木村屋總本店のパンではなく地元のパンを使えるようにするなど、ソーシャルプラットフォーム化しているのだ。