<情熱の理由>甲子園への私の流儀/中 力に磨き、文武両道 大分舞鶴・河室聖司監督
◇情熱の理由(わけ) 「進学校の生徒はいろいろ頑張らないといけないことが多い。勉強も野球もして、すごいなと尊敬するわ」。18日開幕のセンバツに21世紀枠で初出場する大分舞鶴(大分市)。筋トレに汗を流す部員らを見ながら、河室(かわむろ)聖司監督(57)は頰を緩めた。 大分県立の同校は、東大、京大を筆頭とする難関国立大などに多くの生徒が進む県内有数の進学校だ。野球部も勉強時間を確保するため、練習は平日2時間、休日4時間まで。限られた時間でのチーム強化は永遠の課題だが、34人の部員を3班に分け、分単位でメニューをこなすなど工夫してきた。 一人一人の目標に沿った環境作りを心がける監督だが、「礼儀を知り、努力することを覚え、感謝する心を持てれば社会で通用する。体力作りはその次」と強調する。プロ志望の選手もいる強豪校と違い、ほぼ全員が公務員や会社員として身を立てることを目指す。社会で通用する人間形成に注力するのは自然な流れだ。 それでも河室監督が甲子園を諦めたことはなかった。自身も高校は県立進学校の大分上野丘で、3年時はエースで4番の主将。1982年夏の大分大会で決勝に進んだが、その夏の甲子園で8強入りする津久見に1―2で敗れた。「あと一歩だった」。悔しくてたまらず、将来の目標を警察官から「指導者で甲子園」に変えて日本体育大に進んだ。 卒業後、大分県立高の体育教諭に。母校を皮切りに延べ8校で監督や部長として野球部を指導してきた。母校の部長だった2013年は夏の大分大会で準優勝。大分舞鶴に赴任して2年目の21年夏も決勝で敗れた。「上野丘の時は息子も野球部にいて、親子で準優勝。そういう星の下に生まれたのか、とも思った」 同県内は21年センバツ準優勝の明豊などの私立の他、県立も大分商などの強豪が多く、進学校が割って入るのは容易ではない。そんな中でも河室監督が20年8月の就任から1年半足らずで大分舞鶴を甲子園に導けた背景には、自らの意識改革もあった。「進学校での指導が長く、小技を使う野球が好きだった。しかし、それだけでは強豪とがっぷり四つに組んで最後にうっちゃることはできない」 09年から5年間、県高野連の理事長を務めた。甲子園や国体など全国レベルの試合を数多く見て、気づいたのはシンプルなことだった。「強い球を投げ、強い打球を放つ。これが全国で戦う必須条件だ」。県内の強豪に勝つにも全国で通用する力が必要。「礼儀、努力、感謝の『その次』」と考える体力作りにも時間を割くようになった。栄養士の指導で選手個々の食事メニューも見直した。 現在の部員は入学時から平均体重が5キロ以上増え、細かった体は見違えてたくましくなっている。集中力を生かしたサインプレーなど持ち前の細やかな野球にパワーが加わった。「甲子園で『ひ弱』と見られるのは嫌。ぶつかった相手に『大分舞鶴、力があるやん』と思ってもらえたらうれしい」。思い描くのは、進学校への先入観も覆す野球だ。【辻本知大】