五輪日程の行方にハラハラの職人たち 「美濃手すき和紙」がアスリートに届く日は?
中止でないことに安堵 「1年後のほうがよいものを渡せる」
岐阜県の手すき和紙づくりは、明治・大正時代の最盛期には約4000軒以上が携わっていたという。だが戦後はライフスタイルの変化とともに徐々に減少。今では、美濃に17軒、飛騨古川に2軒ほどが残るのみ。なお、美濃は17軒だが、30歳代と40歳代の若手が8軒と半分近くを占め、その中には東京や北海道など地元以外から来た職人志望者もいるという。 多くの職人が廃業していく中で、美濃では綿々と伝統技術を守り続け、今年の東京オリンピックという世界の大舞台でスポットが当たろうとしている。その目前だった。 トータルで20年近く和紙を手がける加納武さん(47)は「皆で集まり協力して制作するのは、初めての試み。仕上がりを確認し、問題を解決しながら、ようやく仕上げまでたどり着きました。全力を尽くしたアスリートに渡して恥ずかしくないよう、よりよいものを心がけました」と語った。 倉田真さん(41)も「プレッシャーが大きかったですが、選んでくれた信頼を裏切らないよう丁寧に作りました。美濃手すき和紙にしてよかったと思ってもらえたらうれしい」と話していた。 職人たちは、美濃手すき和紙がアスリートの手に渡る日を心待ちにしていた。 しかし、延期を受けて、納品が予定通りになるのかどうか、いまのところは分からない。3月25日、最後の品質チェックを行っているが、その先は不明だ。 「それでも、中止ではないことに、正直ほっとしています」と鈴木理事長は前向きにとらえる。 「美濃手すき和紙の価値が認められたのは名誉なこと。この和紙は時間が経つほど、しっとりとしてよい風合いになっていきます。むしろ、1年程度後のほうがよいものを渡せそうです。これを機に、美濃手すき和紙を広く知ってもらい、同時に私たち一人ひとりの技術をより向上させ継承していけたらと思います」 (南由美子/nameken)